昨日29日の日経新聞「経済教室」に掲載された、遠藤乾・北海道大学教授の執筆による
『ポピュリズムに揺れる世界(上) EU、累積危機回避 猶予なし』というタイトルの論考が、
大変勉強になりました。この論考は、EUの危機の性格を「累積危機」と位置づけ、
いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)との関係を中心に考察し、
日本にとってどのような含意がくみ取れるのかを探ったもので、
遠藤教授は次のように述べられていました。
『経済的・社会文化的な構図からすると、日本も欧州の蓄積危機から学べることは多い。
一億総中流の時代は既に大昔の話だが、
今や186万円ほどの年収しかない階層を1千万人近く抱える。
その傍らに、今度は外国人労働者の受け入れが本格化する。
時に様々な公的補助を得る外国人や低所得層をみて、ねたみ、さげすむのが低賃金の労働者だ。
排他的なポピュリズムの導火線はこのあたりにある。
中間層をやせ細らせる最大の要因は、実質所得の低迷や下落である。
それを結果的に促すという一点において、日本の企業はドイツの政府と変わらない。
前者は内部留保をため込み投資にも慎重で、労働者への分配をためらう。
後者は財政黒字をため込んで、減税も財政出動もせず、緊縮こそ美徳と信じ、
ユーロ圏が沈むのを他国の怠惰のせいだと放置する。
どちらにおいてもお金は回らず、自ら価値を置く市場の基盤はむしばまれ、
自分の首を絞めている。
対岸の火事を見物しているつもりが、実はポピュリズムを生むレシピを忠実になぞっているのだ。
危機(crisis)は、ギリシャ語の原義に従えば「分かれ道」である。
英米が自壊の道をひた走るなか、日欧が同じ轍(てつ)を踏むのか、
それとは異なる道を開拓するのか、岐路に立っている。字義通りの危機である。』
なお、ここでいう「累積危機」については、遠藤教授の次のような解説がありました。
『いま進行中の危機は、疲労が蓄積するようにひずみがたまる類いのものだ。
一定水準に達すれば動悸(どうき)、めまい、イライラなどの症状となって表れ、
進行すれば過労死など最悪の状況に至るが、
きちんと対処すれば緩和も不可能でない蓄積型(cumulative)の危機だ。』
う~む、なるほど‥‥。
日本企業とドイツ政府に共通点があるというのは、面白い指摘だと思いました。
どちらも、回りまわって自らの首を絞めているのですね‥‥。
「創造した富は、分配することが大切であること」がよく分かりました。
もう一つ勉強になったのが、「危機」のギリシャ語原義が「分かれ道」ということです。
「岐路」=「危機」だとすれば、祖国・日本は、いつも「危機と隣り合わせ」のような気がします‥‥。