昨日の続きといえば続きになります‥。
9月16日(月)「敬老の日」の朝日新聞一面コラム「天声人語」には、
次のようなことが書かれていました。
『‥‥悩みながらも、何とか、どうにか生きていく。
「もっとも多く生きた人間は、もっとも多く年をかさねたものではなく、
もっとも多く生を感じたものである」。
18世紀の思想家ルソーが名著「エミール」に残した至言が頭に浮かぶ。
きょうは敬老の日。生と死を考え続けた先達たちの姿は力強く、そこはかとなく美しい。
彼らの大いなる励ましを受けつつ、自分の老いもまた、しずかに見つめてみたい一日である。』
「敬老」といえば、氏神神社の清掃活動を一緒に取り組んでいる地区の老人会会長から、
「あなたも老人会に加入しませんか」と、熱心なお誘いを受けています。
その会長によると、100人ほどのメンバーのうち、約9割が75歳以上の後期高齢者で、
90歳以上の方も10人を超えているそうです。
「いや、私はちょっと‥。」
大いなる励ましを受けつつも、やはりまだ老人とは呼ばれたくない‥。
それが本心の私が、そこにいました‥‥。