岡本全勝・内閣官房参与が、昨日15日のHPで、
朝日新聞一面コラム「天声人語」について書かれていたので、さっそく私も目を通してみました。
http://info.asahi.com/choiyomi/reporter/tenseijingo/?iref=marke_choiyomi_17_lptop
その朝日新聞のHPでは、「天声人語」についての、次のような説明がありました。
『天声人語は、1面に毎日掲載されている時事コラムです。
ニュースと同時に、季節の話題や旬の話題も入っていきます。
そのときあったニュースに即して、違う切り口で書く、
603文字、6段落とルールがあるのが特徴です。
また、今ではほとんどの記事に署名があるのに対して、署名がないのは変わった存在ですね。
通常の記事と違って、見出しもありません。連載開始は1904年。
タイトルが変わったこともありますが、1世紀以上続く歴史あるコラムです。』
そして、「天声人語」の今の筆者は、有田哲文論説委員と山中季広・論説委員で、
このお二人が一週間交代で書いているそうです。
ところで、その「天声人語」といえば、私は20歳前後の多感な時期に、
以後、朝日新聞の論調には違和感を感じることが多い、あるいは、賛同できないことが多いものの、
一面コラムの「天声人語」だけは、ずっとファンで居続けています。
ですから、今現在も、
月額390円を支払って「朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュース」を購入して、
「天声人語」を毎日欠かさず読むのが日課になっています。
元に戻って、先ほどの有田哲文論説委員は、次のようなことを述べられていました。
『書くときには、「書きたいこと」「書くべきこと」「書けること」この3つを闘わせます。
書きたいと思っても、それを支える材料を持っているか、納得させられることなのかが重要。
本で読んだことがあるか、取材したことがあるか、自分は考えたことがあるか、
書けるけど面白いか、など考えます。』
う~む、なるほど‥‥。
「603文字、6段落」に収めるために、大変なご苦労をされているのですね‥‥。
ただ、やはり私は、いつも深代惇郎さんが生きていたら、
「この話題やこの事件は、どのように書いただろう?」と思うことがしばしばあります。
生意気で大変失礼な言い方ですが、
最近は、「天声人語」を読んで感動するのは、月に1度か2度、あるかないかです。
それはおそらく、若い頃のような感受性や感性が、今の私には失われているせいなのだと思います。