今日の日経新聞一面コラム「春秋」の冒頭に、次のようなことが書かれていました。
境内一面あふれる朱(あけ)が夏到来を告げる、250年以上続く風物詩だ。
「四万六千日(しまんろくせんにち)」とも呼ぶ。いつにも増して霊験あらたかな「功徳日」なので、
たった1日の参拝で四万六千日分もの御利益があるとか。‥‥』
「ほおずき市」という言葉にふれて、グレープの名曲「ほおずき」を思い出しました。
♬ いくつかの水たまりを残して 梅雨が駆け抜けてしまえば
しめった風の背中越しに きみの好きな夏が来ます
子どもの頃、私も夏が好きでした。
ちょうど今頃の時期は、拓郎さんの「夏休み」の歌詞のように、
早く夏休みが来ないかと指折り数えていたように記憶しています。
それが今は‥‥。私はいつから夏がこんなにも苦手になったのだろう‥‥?
さて、今日は町立図書館に行って、6月30日(月)から7月4日(金)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この期間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。
まず、7月1日(火)は、ダーチャ・マライーニの
「わたしは、彼らが冷酷な野獣ではなく、
その犯罪は部族社会のロジックによるものだと理解する道を見つけた。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『刑務所で詩の講座を開いていた頃、受刑者らの作る詩が
聖書を思わせる壮大さと優しさを備えていて驚いたと、イタリアの作家は言う。
銃や刃物で憎悪をぶちまける人も、言葉を得ることで「貧しく野蛮な武器のことばへの興味を失う」と。
一方、言葉を武器に他者を脅かす集団的愚行は今も絶えない。「わたしの人生」(望月紀子訳)から。』
言葉は美しい詩にもなるし、他者を傷つける武器にもなるし‥。
愛おしくもあり、厄介な存在でもあります‥‥。