朝の通勤途上、集団登校中の小学生とすれ違います。
高学年の児童を先頭に、一列になって元気よく登校している姿を、毎日見ることは、
とてもすがすがしい気分になります。
そして、列の中の数人から、「おはようございます」の挨拶をしてもらいます。
こちらも、頭を下げて「おはようございます」の挨拶を返します。
「挨拶ができる子ども」と「黙って通り過ぎる子ども」
この違いはどこからくるのでしょう?
家庭での教育でしようか?それとも本人の資質でしょうか?
ところで、私が勤務先はどうかというと、
社会人になっても、まともに挨拶ができない人がいます。
部長級や課長級の人で、挨拶ができない人がいるのは、とても残念なことです。
私は、いくら仕事ができる上司、同僚であっても、
挨拶ができない人は、「いかがなものか」と思っています。
ましてや、部下職員が挨拶ができない場合は、管理職としての私の評価は下がります。
先ほどの「挨拶ができる子ども」と「黙って通り過ぎる子ども」
この子たちの将来は、それぞれどのような道を歩いていくのでしょうか?
追跡調査をして、その結果を論文で発表したら面白いのかもしれません。
いや、もう既に、そうした研究論文は発表されているのかもしれません。
このことに関連して、
安岡正篤先生が、「お辞儀の意義」について書かれています。
『鳥獣はお辞儀をするということを知らない。
ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。
まだ精神生活が発達していない。
人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。
お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、
自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。
そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。』
「挨拶をすることは他を通じて自己を敬すということ」
なるほど、挨拶はとても「奥が深い」ことなのですね……。