しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

朝の挨拶

朝の通勤途上、集団登校中の小学生とすれ違います。
高学年の児童を先頭に、一列になって元気よく登校している姿を、毎日見ることは、
とてもすがすがしい気分になります。

そして、列の中の数人から、「おはようございます」の挨拶をしてもらいます。
こちらも、頭を下げて「おはようございます」の挨拶を返します。

「挨拶ができる子ども」と「黙って通り過ぎる子ども」
この違いはどこからくるのでしょう?
家庭での教育でしようか?それとも本人の資質でしょうか?

ところで、私が勤務先はどうかというと、
社会人になっても、まともに挨拶ができない人がいます。
部長級や課長級の人で、挨拶ができない人がいるのは、とても残念なことです。
私は、いくら仕事ができる上司、同僚であっても、
挨拶ができない人は、「いかがなものか」と思っています。
ましてや、部下職員が挨拶ができない場合は、管理職としての私の評価は下がります。

先ほどの「挨拶ができる子ども」と「黙って通り過ぎる子ども」
この子たちの将来は、それぞれどのような道を歩いていくのでしょうか?
追跡調査をして、その結果を論文で発表したら面白いのかもしれません。
いや、もう既に、そうした研究論文は発表されているのかもしれません。

このことに関連して、
安岡正篤先生が、「お辞儀の意義」について書かれています。
『鳥獣はお辞儀をするということを知らない。
 ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。
 まだ精神生活が発達していない。
 人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。
 お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、
 自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。
 そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。』

「挨拶をすることは他を通じて自己を敬すということ」
なるほど、挨拶はとても「奥が深い」ことなのですね……。