10月26日の「安岡正篤一日一言」を読んで、考えることがありました。
『人、三不幸あり。
少年にして高科に登る、一不幸なり。
父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。
高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。』
このうち、三不幸について、安岡先生は次のように述べられています。
『〜(中略)〜またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする、
〜文は飾る、表すということで、つまり弁が立ったり、
文才があったりして表現が上手なこと〜これも大きな不幸である。』
私の所属する自治体では、昨年度から課長昇任試験が導入されました。
先日、一次試験(記述試験)の合格発表があり、
来月の中旬からは、特別職による二次試験(面接試験)が始まります。
合格と不合格を分けるものは何なのか?
「弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと」だけで合格が決まるとしたら、
実は、組織や個人にとって不幸なことではないのか…?
ところで、
行政学の権威である大森先生の著書「官のシステム」では、
国の行政組織は「大部屋主義の職場組織」であるとして、
その特色を次の6点に要約されています。
・一所の執務空間
・仕事振りの相互評価
・人間関係の重視
・概括列挙の所掌事務規定
・曖昧な職員定数
・よき人柄が望まれる所属長
最後の「よき人柄が望まれる所属長」について、大森先生いわく、
『一般職員にとって課長は、
所属組織の代表者であると同時に、人事考課を行い、意思決定者であり、
場合によっては職務命令を下す管理監督者である。
この所属長と所属職員との間において両者にとって切実な問題は、
適切な仕事の割り振り、方針の共有、公正な人事配置、
そして職場における良好な人間関係の維持である。
一所に所属する職員が、
責任をもってそれぞれの分担する仕事を遂行すると同時に、
気持ちのよい職場の雰囲気が形成されていることが、
課全体のパフォーマンスを高める上で必須の条件となる。』
中央省庁に限らず、客観的で公平な管理職の人事評価を実施することは、
組織における永遠のテーマなのかもしれません。
もちろん、管理職自身の自己啓発が大切なことは言うまでもありませんが…。
自己批判も含め、いろいろなことを考えた一日でした。