しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

後悔と反省と懺悔の日々

岡本全勝・内閣官房参与が連載執筆されている日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」、

昨日1日のタイトルは『仕事人間の反省』で、

コラムの冒頭には、次のようなことが書かれていました。


『駆け出しの頃、1週間、役所の建物から出なかったことがある。

 明け方まで仕事をして、職場に泊まった。役所の「備品」のようだった。

 でも「消耗品」にならなくて良かった。泊まったのは、上司に命令されたからではない。

 覚えることがたくさんあって、仕事が楽しかった。

 結婚後は帰るようにしたが、夜遅くまでよく飲みに行った。』


私は、岡本参与のように仕事人間ではありませんでしたが、

それでも若い頃は、職場で何度か徹夜をしたこともありますし、

残業後にはKちゃんをはじめ、職場の気が置けない仲間と、

日付変更線をまたいで飲みに行くことが数え切れないほどありました。

その一方で、一人娘の子育てや病弱だった実母の世話などは、

「仕事の忙しさ」を言い訳にして、妻に丸投げするような状態でした。

今から思えば、家事や育児から都合よく逃げていたのだと思います。(反省)


今はどうかというと、

午後5時15分に仕事が終わると、脱兎のごとく職場を退庁し、

午後5時30分発の郊外電車に乗るために、急ぎ足で駅に向かいます。

仕事帰りに買い物をする妻よりも早く自宅に帰ると、

ご飯を炊いたり、洗濯物を入れて畳んだり、父と自分の洗濯をしたりしているうちに、

あっという間に午後7時になります。

それからお風呂に入り、食事をしてその後片付けを済ませ、

洗濯物を干して時計を見ると、いつも午後8時を過ぎています‥‥。

それからこの日記を書き、翌日午前5時の起床に備えて午後10時前には寝床に入り、

睡眠薬代わりに本をパラパラと読んで、私の単調で平凡な一日が終わることになります。


ところで、岡本参与ご自身のHPでは、

仕事が終わっても帰宅せず、時間つぶしをしてから帰るサラリーマン、

いわゆる「フラリーマン」のことが書かれた朝日新聞の記事を紹介されていました。

さっそくデジタル版でその記事を読んでみると、次のようなことが書かれていました。

『日本では、勤務時間の長さで評価する企業体質と

 「育児=女性」という考え方が根付いてきました。

 こんな社会が、「育児や家事を急にやれと言われてもできない」

 「仕事を理由に逃げたくなる」というフラリーマンを生み出したのでしょう。

 しかし、その陰には、ワンオペ育児に苦しみ、

 仕事と家庭に引き裂かれる思いに悩む人たちがいます。

 フラリーマンをしている人は一度、そのことに思いをはせてほしい。

 そして職場は、育児も仕事も諦めたくないと願うお父さんやお母さんを

 応援してほしいと思います。』


また、岡本参与は、さきほどの日経新聞のコラムで、

働き方改革は、職場での仕事の改革だけでは実現できない。

 家庭、地域、趣味での過ごし方を、変えなければならない。

 仕事人間にとっては、生き方と意識の革命だ。』


「仕事人間にとっては、生き方と意識の革命」ですか‥‥。

確かにおっしゃるとおりで、私はそのことに気づくのが遅かったために、

今まさに、後悔と反省と懺悔の日々を送っています‥‥。

異次元の思想・哲学に触れる

月日の経つのは早いもので、今日から3月です。

七十二候では、今日から「草木萌動(そうもくめばえいずる)」で、草木が芽吹き始める頃‥‥。

草の芽が萌え出すことを「草萌え」(くさもえ)というそうですが、春を感じさせる言葉ですね。


さて、日経新聞文化欄では今日から、

宗教学者山折哲雄さんの「私の履歴書」の連載が始まりました。

これからの1か月、楽しみにして読みたいと思っています。

初回の今日は、次のようなことが書かれていました。


『ふり返ればこの歳までいろんな病気をしてきたが、その多くは消化器系のものだった。

 十二指腸潰瘍、肝炎、それも急性、慢性を含めてC型というのまで、

 それに急性の膵臓(すいぞう)炎などである。

 そのため十二指腸と胃の三分の一の切除、後年になって胆のうの全摘手術をうけ、

 腹のまんなかに二本のメスの跡が入っている。

 この消化器系の病ではいつも、鈍痛や疼痛(とうつう)、

 それに激痛などさまざまな痛みとのたたかいだった。

 それに耐えてもだえているときは、肩の上であろうと背中であろうと

 重い荷物がずしりと沈んでくるような気分になった。

 生きて呼吸をしていること自体が何とも息苦しい。

 それが病気というものの本質みたいなもので、当たり前のことなのだろうとも思っていた。

 いってみればそれは、私にとって存在の重さ、といったものだった。』


この記述を読んで、私の病歴が山折さんとよく似ているのにびっくりしました。

子どもの頃は膀胱炎、29歳で十二指腸潰瘍、

胆のうには「無言の石」を20年間抱え、そして今回の急性前立腺炎‥‥。

腹のまんなかには、十二指腸と胃の三分の一を切除した際の、一本のメスの跡が入っていて、

もしも胆石が暴れだすと、再び私の腹にはメスが入ることになります。


山折さんはこの後に続く文章で、「はじめて心臓の不整脈という循環器系の疾患で倒れた際には、

消化器系の場合の痛みからほとんど解放された」、

「なるほど、もしも死に至る病というものがあるとしたら、

この循環器の病こそそれを理想的なかたちであらわしているのではないかと想像した」、

「消化器系の場合の存在の重さとはまったく対極にある、

存在の軽さといった領域にいつのまにか入っていく」と述べられていました。


病気というものを、「存在の重さ」と「存在の軽さ」という表現で客観的に見つめ、

そして、生死を哲学する‥‥。

病気への耐性がない私のような凡人には、「異次元」の思想・哲学だと思いました。

冒頭にも書きましたが、これからの連載がとても楽しみです。

治療は続く‥‥。

前立腺の治療が続いています‥‥。

今日も仕事を早引きして、泌尿器科の病院に行ってきました。

いつもの尿検査のほか、今日は前立腺がんの血液検査を受けました。

次は3週間後の受診で、薬はどうやら当分の間、飲み続けないといけないみたいです‥‥。


一方で、めまいの症状は改善傾向にあって、薬に頼ることがほとんどなくなりました。

体重減少にも歯止めがかかり、なんとか50キロ台をキープしています。

サラリーマンは身体が資本であることを、今更ながら実感して過ごす毎日です。

私と同世代の皆さんは、健康面での心配はないのでしょうか?

もしあるのであれば、くれぐれもお身体ご自愛ください‥‥。


今の時間、窓の外から雨音が聞こえてきます。

天気予報によると、今晩から明朝にかけて、大荒れの天気になるとか‥‥。

春が嵐を伴ってやって来そうです。

定年退職前後の生活変化についての雑感

第一生命経済研究所ライフプラン研究本部が『定年退職前後の生活の変化』という、

全国の55~59歳の男女1,000人を対象に

インターネットで実施した調査結果のレポートを公表していました。

調査結果のなかでも、私が特に興味を持ったのは、次のようなものでした。


まず、定年退職前後の人々は「将来の生活をどのように感じているのか」との質問に対し、

男女ともに3割程度の人が「特に不安を感じていない」と回答、

一方で、4割前後の人は「生活費が少なくて不安である」と回答していました。

次に、定年退職を経験した人に、生活の意識の変化をたずねたところ、

「長年勤め上げたという達成感を感じる」や「自分らしい生活を取り戻した」

といった項目が男女ともに高く、半数前後が回答していました。


う~む、まいったな‥‥。

将来の生活に不安を感じていない人が3割もいるなんて‥‥。

収入面で不安を抱いている私にはとても信じられません。まるで別世界の人みたい‥‥。

また、私は定年退職後に、「自分らしい生活を取り戻した」

という安堵感を感じたことは一度もありません。

仕事は現役時代よりも、肉体的・精神的に負担に感じるし、

私生活においても、年老いた父と同居しているため、自由な時間はどうしても制約されます。


なんだか愚痴っぽくなりましたが、「病院通いをしながらも何とか働けること」、

「命の仕舞い方を身をもって教えてくれる親が身近にいること」は、

実はとっても幸せなことなのかもしれません‥‥。

そう自らに言い聞かせて、もう少し残りの人生を頑張ってみることにします。

「トントンの暮らし」の難しさ

今日26日に配信された朝日新聞デジタル版「なるほどマネー」の記事が、

老いじたくに悪戦苦闘している私には、とても参考になりました。

「老後への備え方」をシリーズで解説するもので、

その第二回目は『収入ダウンの崖、3回来る』というタイトルでした。

記事では、定年後、収入が減る時期が3回あることについて、次のような解説がありました。


・最初の崖は、定年の60歳の時。今の50代の人が年金を満額受け取れるのは65歳から。

 だから、ほとんどの人は65歳までは、再雇用で何らかの仕事をすることになる。

 しかし、50代までと同じ額の給料を払ってくれる企業はほとんどない。

 勤務先により大きく異なるが、50代で受け取っていた額の

 3分の1程度に減る可能性があると考えておいた方がいい。


・2回目の崖は、年金生活に入る65歳の時。

 公的年金の額は人により異なるが、厚生労働省のモデル額では、

 40年間サラリーマンだった男性で年約190万円程度(老齢厚生年金と老齢基礎年金)。

 現役時代の給与が若い頃からかなり高かった人でも、年240万円前後。

 配偶者がいる場合は、配偶者の年金も世帯年収に加わる。

 専業主婦の期間が長い妻の場合、年金額は「老齢基礎年金+α(働いていたときの厚生年金)」で、

 目安は80万円前後。


・配偶者がいる人には、3回目の崖がある。配偶者が亡くなった時。

 夫婦2人暮らしの間は2人分の年金が受け取れるが、

 どちらかが亡くなると年金収入は大きく減る。

 しかし支出は一人になって半分に減るわけではない。

 配偶者が亡くなった後、年金収入で足りない分の貯蓄の取り崩しは

 増えやすいことを念頭に置いておこう。


こうした3回の崖を踏まえたうえで、記事では次のようなアドバイスが書かれていました。

・これらの「収入ダウンの崖」を乗り越えるため、まず60代前半の再雇用で働く期間は、

 減った収入で支出を賄う「トントンの暮らし」を目指そう。

 60歳までにためた老後資金や退職金は、65歳以降の年金生活まで使わないようにしよう。

・収入が減ったら支出も見直そう。収支が赤字のままだと、70歳までに貯蓄が底をつきかねない。

 老後のマネープランは、「収入ダウンの崖」を織り込んで立てるのが肝心。


さて、私はというと、今まさに1回目の崖に立ち往生しています。

記事が指摘しているように、定年後の収入は現役時代の3分の1以下になり、

おまけに、誕生月が12月ということもあって、今現在も年金は支給されていません。

ですから、この2年間は、貯蓄ができるどころか、

スズメの涙ほどの貯蓄を取り崩しながらの生活が続いています。


定年後の「トントンの暮らし」が難しいことを、痛いほど実感している毎日‥‥。

あぁ‥‥、「人生の楽園」というものは本当に存在するのかしら‥‥??(溜息)