しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「心の習いが護られる」を考える

今日は町立図書館に行って、5月5日(日)から11日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。

まず、5月8日(水)は、森崎和江さんの

「死者と生者のつながりが、ごく自然に暮らしの内外にあってこそ、

人びとの心はこの世に根をおろすように思われた。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『山の小暗い岩穴で礼拝し、その先に広がる草原で共に飲み、舞う在日朝鮮人らのお祭り。

 夫の遺骨を同胞の僧にも預けかね、「いかにも他国でゆきくれている」ような一人の姿が

 胸にこたえたと作家は記す。心の習いが護らえさえすれば、人は孤独な暮らしに耐えられもしようと。

 《森崎和江コレクション/精神史の旅》4「漂白」から。』


う~む‥‥。「心の習いが護られる」ですか‥。

最初、鷲田さんの解説を読んで戸惑いました。

「他国でゆきくれている」のは日本人なのか、朝鮮人なのか。「同胞」とは日本人なのか、朝鮮人なのか。

作家には何が「胸にこたえた」のでしょう。考えた今でも「その理解」に自信がありません。

読解力のない自分自身に愕然とします‥。

ただ、「死者と生者のつながりが、ごく自然に暮らしの内外にあってこそ、

人びとの心はこの世に根をおろす」という「ことば」のほうは、私にも理解できる気がします‥‥。