今日の日経新聞「ネット 人類 未来」は、
『忘れられる権利 「記録したい」本能と葛藤』でした。
記事によると、
人間には自分や世界の出来事を残したい本能があるようで、
『文字の発明、活版印刷の実用化、コンピューターの開発。
進歩はまさに記録を残そうとする人類の欲求の表れだ。』そうです。
さらに、記事を読んで、初めてその言葉を知りましたが、
『自分にまつわるものをすべてネットに取り込んで残そうとすることを
「ライフログ」と呼ぶ。』そうです。
そうすると、
私がこの日記を書くことも、「本能に基づく行動」ということになります。
日記を書き始めてから、まもなく1年になりますが、
確かに、初日の日記では、
「生きてきた記録を残したい」という所感を書いた気がします。
一方、記事では、ネット上で記録を残すことについて、
次のようなリスクを指摘しています。
『「クリック1回」は積み重なれば価値を生む。
だが個人が丸裸にされるリスクも生んでしまう。
個人情報へのルールづくりが求められる半面、
便利さから「何気なくマウスを押す側も
『情報は永久に残る』可能性を認識する必要がある」と
立命館大教授の仲谷善雄(54)は話す。
恩恵と代償を巡る葛藤はまだ始まったばかりだ。』
う〜ん、なるほど、そういうリスクがあるのですね。
私がこの日記を書いていることは、家族を含めて、ごく一部の人しか知りませんし、
ましてや、これからも他の人に積極的に知らせるつもりはありません。
そうだとすれば、「非公開にすればよいのでは?」との結論になりますが、
やはり「人間の本能?」なのでしょうか、
私が生きてきた証を、身近な人には知ってほしい気持ちもあります。
(たとえば、孫娘に「おじいちゃんはこんな時代を生きてきたのか…」など)
やれやれ、
あまり深く考えると、肩が凝りそうなので、
「リスク」には十分留意しつつ、これからも自然体で「ライフログ」に臨むことにします。