『孔子』(井上靖著:新潮文庫)を読了しました。
積読状態でずっと書棚に眠っていたものをやっと読み終えました。
小説というよりも、論語の解説書のような本でした。
その解説のような小説を読んで、改めて論語の懐の深さを感じました。
そのなかでも、やはり忘れ難いのは、
「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず。」です。
まず、この小説の主人公である仮想の弟子の解釈は、次のようなものでした。
『私はいつか、子がこの詞を口から出された時、
お持ちになっていたに違いない思いの中に入っておりました。
過ぎゆくものは、みな、この川の流れの如きものであろうか。
昼も夜もとどまることはない。
人の一生も、一つの時代も、人間が造る歴史も、次々に流れ、流れ、
流れ降って行って、とどまるところを知らない。
このような時々刻々、うつろいゆく現象には、言い知れぬ淋しさが漂っているが、
それにしても、川の流れは、流れ、流れて、あの大海へと流れ込んでゆくではないか。
それと同じように、人間が造っていく人間の歴史も、歴史の流れも亦、
人間が太古から夢みている平和な社会の実現へと、
いつかは繋がってゆくことであろう。繋がってゆかぬ筈はない。』
そして、これとはまた違う解釈もできることを、次のように述べています。
『“逝くものは”は、確かに大きい詞であります。
海のように何でも収め、何でも容れるところがあります。
子御自身の、己が人生に対する歎き、悲しみとも受取れましょうし、
人間そのものの淋しさを唄っているという解釈もできましょう。
或いはまた、厳しい人生教訓として読むこともできます。』
私は、三種類の論語の本を持っていて、
そのなかでは、貝塚茂樹先生の「論語」(中公文庫)がお気に入りなのですが、
簡単な解説付きの岩波文庫の「論語」が、
読者の解釈の余地というか、幅を残しているのかもしれません。
同じ詞でも、歳を重ねて再び読み返すと、また違った味わいがある……。
これこそが、論語の限りない魅力だと思います。
さて、今日の日記は、
全国俳句甲子園の表彰式を背中で聴きながら書いています。
今年の個人最優秀賞句は、『号砲や 飛び出す 一塊の日焼』でした。
17字に込められた俳句もまた、味わい深いものがあります。
- 作者: 井上靖
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1995/11/30
- メディア: 文庫
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