いつもなら「こよみのページ」の解説を引用させていただくのですが、
今回は、今日の日経新聞「春秋」から……。
『きょうは冬至。北半球では最も昼の時間が短い。
「一年の短さをいひ柚子(ゆず)湯かな」(岩井善子)。
句のようにユズを浮かべた風呂に浸ったり、
小豆入りのおかゆや煮たカボチャを食べたりして息災を祈る。
この日を境に日脚が伸び始めるため「一陽来復」の別称がある。
「冬至、冬なか、冬はじめ」とも言う。
暦の上では冬の真ん中だが、冷え込みはこれからが本番との意味だ。
忘年会にクリスマス、さらに新年会と、この時期に相次ぐうたげには、
家族や気の置けない仲間と肩を寄せて語らう温かで穏やかなイメージが満ちている。
募る寒さと夜の長さゆえ、人との距離も縮まるのだろう。』
このコラムにでてくる「一陽来復」という言葉には、
「悪いことばかりあったのがようやく回復して善い方向に向いてくること」
という意味もあるそうです。
確かに、「希望」を感じさせる「語感」というか、「言葉の響き」がありますね。
また、「この時期のうたげには、気の置けない仲間と肩を寄せて語らう
温かで穏やかなイメージが満ちている」というコラムの記述に関しては、
一昨日の飲み会が、まさにそのような「温かで穏やかなうたげ」でした。
でも、どうして昔の職場仲間とは、
温かく穏やかな気持ちで飲むことができるのでしょう?
その答を、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」の、
鷲田清一さんの、次のような解説のなかに見つけました。
『人を懐深く受け入れるには、鎧(よろい)を脱いでいちど自分を緩める必要がある。
だがそれは、事のなりゆきに心置きなく身を委ねられる「信頼」なしには難しい。
まずは日頃よりそういう関係を周囲との間で育んでおかねば。』
そう、そうですよね…。
「人を懐深く受け入れるには、お互いが信頼関係で結ばれていること」
「自分自身を開放するには、他者との信頼を育む努力が欠かせない」
……このような理解でよろしいのでしょうか?