昨日の元旦、そして今日2日と、良く晴れて風もなく、穏やかな日が続いています。
賑やかだった昨日とは打って変わって、
今日の我が家は普段どおりの、父と妻と私三人の、静かで平凡な生活に戻っています。
さて、元旦に届いた大量の新聞紙面を読みこなすのは至難の業ですが、
そのなかで、日経新聞「春秋」に掲載された、歌人・斎藤史(さいとうふみ)さんの
二つの歌に心を動かされました。
『「ひたむき」「ひたすら」「ひた走る」‥‥。
日本語には、「ひた」を冠した言葉がいくつもある。漢字をあてると「直」。
いちずな状態や、そればかりであることをあらわす、大昔からの表現だ。
だから「ひたくれない」といえば、紅色が一面に広がった様子を言う。
「死の側より 照明(てら)せばことに かがやきて ひたくれなゐの 生ならずやも」。
一瞬どきりとする「死」を詠みつつ、そこから「生」を照らし出して命の輝きをたたえたのだ。
二・二六事件に連座した陸軍少将の父を持ち、激動の昭和を生きた女性ならではの洞察だろうか。
~ (中略) ~
ひたむきに、ひたすら疾走してきた近現代の日本も、
平成に入ったころからいささか疲れがにじみ、失敗や弱点の「ひた隠し」も珍しくなくなった。
けれどこの歴史の転換点に、栄光も悲惨も虚心に顧みて次の一歩を踏み出したいものだ。
斎藤史の歌をもう一首。「野の中に すがたゆたけき 一樹あり 風も月日も 枝に抱きて」』
う~む‥‥。実に味わいのある、そして重みのある歌だと思います。
「すがたゆたけき 一樹あり」なんか、特にいいですよねぇ~‥‥。
昨日の郷土の偉人に続いて、恥ずかしながら、斎藤史さんという歌人と、その人の歌を初めて知りました。
(また、「ひたむきに」とか「ひたすらに」というのは、私好みの言葉ですが、
「ひた」を漢字で当てると「直」ということも初めて知った次第です。)
気になって、ウィキペディアで斎藤史さんのことを調べてみると、
『おいとまを いただきますと 戸をしめて 出てゆくやうに ゆかぬなり生は』といった、
私のような歳になって、ようやくその意味が理解できそうな代表歌もあるのですね‥‥。
連日の「恥ずかしながら」です‥‥。この世の中は、私が知らないことだらけです。