昨日に続いて、朝日新聞一面コラム「折々のことば」から‥‥。
今日は、アミン・マアルーフの
『民族的殺戮(さつりく)はつねに、もっとも美しい口実‥‥
正義、平等、独立、人民の権利、民主主義、特権に対する戦い‥‥のもとになされる』
という言葉で、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『レバノン生まれでパリ在住の作家はフランス人かレバノン人かと訊(き)かれると、
「両方です」と答える。「私」は職業、民族、文化伝統など複数集団への帰属の交点にある。
本来は普遍的な概念も、アイデンティティをただ一つの帰属に限る思考と結びつくと
「排除の道具」になってしまう。
「アイデンティティが人を殺す」(小野正嗣(まさつぐ)訳)から。』
う~む‥‥。今日も重い言葉です。
たまたま日本人に生まれた私は、「アイデンティティの帰属」で悩んだり、
苦労したりすることがありませんでした。
いや、そもそも「アイデンティティ」そのものの概念を、考えたことさえありませんでした。
ちなみに、「アイデンティティ」をウィキペディアで調べてみると、
『アイデンティティとは自己と同一化している要素の事である。
国語等で扱われるアイデンティティの喪失とは、その要素が無くなることである。 』
と書いてありました。
‥とすると、「アイデンティティが人を殺す」という含意は、
「自己と同一化しない要素を持つ他者の存在は認めない」という理解でいいのでしょうか?
「折々のことば」に、いろいろと考えさせられる日々が続いています‥‥。