昨日6日は、新しい職場(公益財団法人)の歓迎会でした。
出席者は私を含めて13名、
そのうち理事長を含めて6名の方が、県職員時代の私の先輩という職場です。
緊張した一週間でしたが、早く職場に慣れて、
少しでもお役に立てるよう頑張りたいと思っています。
さて、話は変わりますが、今日7日の朝日新聞に、
『大岡さん逝く~言葉の信を紡いだ旅』という社説が掲載されていました。
社説によると、大岡信さんは、
古今の短歌や俳句、現代詩、歌謡などをとりあげ、
180字で解説・批評する朝日新聞一面コラム・「折々のうた」を、
足かけ29年にわたって連載されたとのことで、
大岡さんの功績などが次のように書かれていました。
『02年の本紙への寄稿では、
舌先三寸で人を丸めこむ人物が国権の中枢部にぞろぞろいると嘆き、
「人が互いに信頼し合って暮らすところでしか、社会の土台は固まらない。
その基本は、相手の言葉が信用できるものであることを、
他者がちゃんと認識できているか」と断じた。
現在の日本社会にも通じる、重い指摘である。
相手の理解を得る努力を尽くさずにおかしな言い訳や
空疎な言い合いに終始する政治家や経営者、
特定の民族や少数派を差別するヘイトスピーチ、ネット上にあふれる激しい中傷-。
言葉が人と人を遠ざけてしまうそんな状況を、
長く闘病していた詩人は、いったいどう見ていたのだろうか。
大岡さんはこの寄稿で、言葉を「敏感な生きもの」と呼び、
「もし自堕落な使い方を続けるなら、いとも簡単に劣悪な素材に変わってしまう」と
警鐘を鳴らしている。
桜の花びらのような小さな欄だが、
全6762回は言葉への信頼を訴える太い幹となった。
社会をつなぐ言葉の重みを、残された文章から問い直したい。』
う~む…、朝日新聞看板の一面コラムを29年で6762回ですか…。
すごいですね…。(絶句) とても真似できるようなものではないと思いました。
それはそうと、今日の朝日新聞「折々のことば」は、
政治・歴史学者の中島岳志さんの言葉でしたが、その解説のなかで鷲田清一さんが、
中島さんの次のような言葉も紹介されていました。
『そういう平凡な努力の積み重ねが非凡なのです。』
では、大岡さんのように、「非凡な努力」が積み重なった場合は、
いったいどのように表現すればよいのでしょうね…?
いずれにしても、この言葉は、
鷲田さんから大岡さんへの「追悼の言葉」に、私には聞こえました。