日経新聞では今月から、陶芸家で十五代樂吉左衞門、樂直入さんの「私の履歴書」の連載が始まりました。
第五回目の今日は、次のような素敵な言葉に出合うことができました。
『‥‥青春とはまずは自己の洞察と他者の発見ではないだろうか。
友には様々な生い立ちがあり、葛藤や懐疑、恐れが入り交じり、ほのぼのとした友情があった。
何より人生へのまっすぐな視線があった。
まるで木の葉が震えるように繊細で不安に満ちた「青春」という言葉が、私は好きである。
人は年を経るに従って自己への率直な視線を失う。しかし青春は何も20歳の青年に限りはしない。
30歳にも、50歳にも青春はあるはずだ。懐疑と恐れ、そして何よりも自己へのまっすぐな視線。
私はポール・ニザンの「アデン アラビア」の一節が好きだ。
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」。
その青春の中に、賢治もカフカもサルトルもランボーもジャコメッティーもいる。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。
「人は年を経るに従って自己への率直な視線を失う。しかし青春は何も20歳の青年に限りはしない。
30歳にも、50歳にも青春はあるはずだ。」ですか‥‥。
まるでサミュエル・ウルマンの、「青春の詩」を詠んでいるみたいです。
『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。』
「自己の洞察と他者の発見」ができるかぎり、
「人はまだ青春を生きている」と言っていいのかもしれません。
私もまだまだ頑張れるような、そんな勇気をもらったような気がします。