昨日のこの日記に、「神田川」と喜多條忠さんのことを書きました。
すると、今日の愛媛新聞一面コラム「地軸」には、その喜多條さんの逝去を悼むコラムが掲載されていました。
全文を次のとおり引用させていただき、この日記に書き残しておこうと思います。
『新聞記事では原則、登録商標を一般名称に言い換える。キャタピラーは無限軌道、万歩計は歩数計、と。
似た制約はNHKにもあった。1973年、3畳の下宿で身を寄せ合う暮らしを歌い、
大ヒットしたかぐや姫の「神田川」。2番の一節に「二十四色のクレパス買って」とある。
その言い換えに応じず紅白歌合戦を辞退したのは有名な話。
本格的画材でなく、クレパス。それで「貴方が描いた私の似顔絵」は、日々のつましさを象徴する。
幸せは平凡な日常にあること。はかないこと。ゆえに貴いこと。
そんな思いを小道具にのせた詞が、学生運動で挫折した若者らに染み入った。
作詞は喜多條忠さん。南こうせつさんから締め切り直前に頼まれたという。こうせつさんの記憶は違う。
締め切り日夕方、やっと喜多條さんから「できた」と電話。
読み上げられる詞をチラシの裏に書き取った。そのとき曲も湧いてきた。
「聴いた詞がそのままメロディになっていくような不思議な感覚でした」(「いつも歌があった」)。
喜多條さんが亡くなった。「やさしい悪魔」「ハロー・グッバイ」と自在に表現。
愛媛にも縁が深い。伍代夏子さんの「肱川あらし」を作詞。歌謡大会の審査員などで熱心に足も運んだ。
忘れがたい場面とともにある歌を誰しも持っていよう。
複雑な人生のパズルの、ごくごく小さな、しかし欠かせない一片。
歌は人の一部―と、作詞家の仕事を顧みて思う。』
はぃ‥、コラムのなかの「忘れがたい場面とともにある歌を誰しも持っていよう」は、
昨日書いた「私にとっての青春時代の大切な曲と、その時代の懐かしい思い出を、
記憶の中にずっと残していただき‥‥」に重なるものがあり、
また、「複雑な人生のパズルの、ごくごく小さな、しかし欠かせない一片」というのは、
とても真似ができない、上手な文章表現だと感心しました。
人は誰しも「小さな、しかも欠かせない一片」を持っているものなのですね‥‥。
コラムニスト氏と今の心情を共有できたような気がして、とても嬉しく思いました。