『21Lessons~21世紀の人類のための21の思考』
(Y・N・ハラリ著、柴田裕之訳:河出文庫)を読了しました。
本書の「位置づけ」について、著者は「はじめに」で、
『サピエンス全史』では人間の過去を見渡し、『ホモ・デウス』では生命の遠い将来を見通したのに対して、
本書は「今、ここ」にズームインしたいと述べられていました。
私が注目したのは、21章のなかでも「戦争」の章における、次のような記述でした。
『‥‥もしプーチンがスターリンやピョートル大帝やチンギス・ハーンのような意気込みで
戦争を行っていたら、ロシアの戦車はとうの昔に、ワルシャワやベルリンとまでは言わないまでも、
トリビシやキエフには突進していただろう。
彼は21世紀には軍事力があまり役に立たないことや、戦争を仕掛けて勝つには、
限定戦争を行うにとどめておかなくてはならないことを、誰よりもよく知っているように見える。』
『‥‥したがってロシアは、NATOとEUの解体を目指した偽情報と
政府転覆のグローバルな作戦に乗り出したとはいえ、物理的な征服のグローバルな作戦にも
乗り出そうとしているなどということはありそうもない。
クリミアの併合と、ジョージアやウクライナ東部への侵入は、新しい時代の前触れではなく、
例外的な出来事であり続けることを願っても、そこそこ妥当だろう。』
『‥‥したがって、武力による威嚇と棘々しい雰囲気が満ちている世界では、
戦争で成功した最近の例に主要国は馴染みがないというのが、
平和の最善の保証になっているのかもしれない。
チンギス・ハーンやユリウス・カエサルはどんなに些細なものでもきっかけさえあれば
すぐに外国を侵略したが、エルドアンやモディやネタニエフのような今日のナショナリズムの旗手たちは、
大言壮語はするものの、実際に戦争を始めることにはじつに慎重だ。
もちろん、21世紀の状況下で戦争を起こして成功を収める公式を現に見つける人がいたら、
たちまち地獄の門が開くだろう。
だからこそ、クリミアのロシアの成功は、とりわけ恐ろしい前兆なのだ。
それが例外であり続けることを願おう。』
う~む‥‥。
どうやら「知の巨人」と言われた著者であっても、プーチンの心の奥底までは読み切れなかったようです。
「例外であり続ける」という願いは、今回のウクライナ侵攻で空しく消え去ってしまいました。
ところで、本書でほかにも印象に残ったのは、「訳者あとがき」の次のような記述でした。
『本書は多くの問題を扱っているが、けっきょく、私たちはどう生きるのか、と問うているのだろう。
あなたはどう生きるのか、と。
冒頭で著者が言うように、今の世の中には「仕事や子育て、老親の介護といった
もっと差し迫った課題を抱えている」ために、
「物事をじっくり吟味してみるだけの余裕のない人が何十億もいる」。
そんななかで本書を読んでくださった方や、読もうとしてくださった方には、
それなりの余裕があることだろうから、訳者としては、まずはそうしたみなさまの胸に、
著者のじつに啓発的な言葉が響き、思いが伝わることを願っている。‥‥』
はぃ‥、この記述を読んで、老親の介護に日々追われつつも、本書を読むことができた私は、
「それなりの余裕」があることを自覚し、また、そうした環境が与えられていることに、
感謝の気持ちを抱いた次第です。