町立図書館で借りてきた『歴史の本棚』(加藤陽子著:毎日新聞出版)を読了しました。
1930年代の日本の軍事と外交がご専門の著者は、
本書の「はじめに」で次のようなことを述べられています。
『‥‥日中戦争中の1937年12月、中華民国政府の首都・南京で
日本軍によって起こされた南京事件について、そのような虐殺はなかったとする言説を
今に至っても耳にすることなどがあると、日本という国に住む少なからぬ人々は
歴史に学ぶのがあまり好きではないのかもしれない、との思いにかられることも正直に言えば、ある。
ただ、自分の国の過去の歴史に人々が必ずしも興味を持てない理由を考えれば、無理もないとも思われる。
夏目漱石が100年以上前に喝破していた。歴史は過去を振り返る時に初めて生まれ出るものだ、と。
悲しいかな、今(明治が終わる頃、引用者註)の我々は時間に追われ、瞬時も一カ所に止まれない、と。
過去を振り返る暇がない我々にとって、過去はなかったことと同じだ、
つまり、過去は「未来の為に蹂躙」されているのだ、と
(『定本 漱石全集』第16巻、岩波書店、2019年、364頁)。漱石の見立てはさすがだ。
だが、漱石の言に感心してばかりもいられない。むしろ、未来のために過去はある、と言いたくて、
本書『歴史の本棚』に収録した書評は書かれたといえる。』
う~む、なるほど‥‥。「未来のために過去はある」ですか‥。
はぃ、このお言葉を踏まえて、本書を読み進めましたが、いずれの書評も分かりやすくて、
かつ、とても示唆に富む内容でした。読むと、収録された本を購読したくなります‥。
まぁ、本書が町立図書館の蔵書の一冊であることが分かったので、
これからも機会があるごとに閲覧・再読したいと思っています。
最後に、印象に残った次の記述を書き残しておきます‥‥。
『国家間の戦争の究極の目的は、相手国の社会を支えている基本的な原理や秩序=憲法を
書き換えることにあると喝破したのは、18世紀フランスの啓蒙思想家ルソーだった。』