昨夜の午後8時過ぎ、お隣の伊予市の方角から、花火を打ち上げる音が聞こえてきました。
どうやら「伊予市彩まつり花火大会」の花火みたいです。
我が家の2階からは、お隣の家の屋根越しに、大きな花火が高く上がった時だけ観ることができます。
実物の花火を観るのはずいぶんと久しぶりのことですが、その美しさにしばし見惚れていました。
さて、今日から8月となりました。
今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、とても秀逸なコラムだと思うので、
全文を次のとおり引用させていただき、この日記に書き残しておきます。
『月が改まった。こんな一句を思い出す。「八月や六日九日十五日」。
広島と長崎への原爆投下、それに終戦の日を並べている。
広島県内の医師が平成の初め、暦を眺め詠んだとされる。
一方、昭和50年代から多くの俳人が同様の句を発表しているとの考証もあるようだ。
「詠み人知らず」どころか「詠み人多数」らしいこの作は、
先の戦争への人々のさまざまな思いの詰まった国民的な俳句と呼んでいいのかもしれない。
核兵器の悲惨さ、専制的な軍事国家の暴走とその末路、そして戦争を終わらせることの難しさ、など。
短い詩型に、歴史の教訓や過去への反省も盛り込み、奥行きは深い。
加えて、この夏は国際社会の現実が、先の句の背景や含意を、
77年の時を超え、なぞっているように思えてくる。
5カ月以上続くロシアのウクライナ侵攻では民間施設も狙った猛攻と反撃がやまない。
一時はロシアのプーチン大統領が核兵器の使用を示唆し緊張が走った。
台湾周辺では、中国軍による威圧的な行動も続く。
日本でも白昼に選挙演説中の元首相が凶弾に倒れるテロがあった。
力による現状変更の試みがまかり通る時代が、また来つつあるのか。
かつて、その奔流に熱狂し、破局を迎えた日本。「機銃掃射もうなき今日の青田風」(大加戸やゑ)。
尊い犠牲の上に築いた平和の価値を、改めて世界に伝えたい2022年8月である。』
「八月や六日九日十五日」‥‥。
コラムの冒頭の一句は、奥行きが深いどころか、日本近代史の教科書一冊分の価値がある句だと思います。