今月2日に町立図書館に行って、朝日新聞一面コラム「折々のことば」をまとめ読みしていたところ、
8月27日(土)の「異論のススメ」に、佐伯啓思・京都大学名誉教授が、
「社会秩序の崩壊と凶弾」というタイトルの長文の論評を寄稿されていたので、要点をメモして帰りました。
佐伯先生は、安倍晋三元首相が凶弾に倒れた事件について、次のようなことを述べられていました。
『‥この事件がわれわれに衝撃を与えた理由は次の三つである。
第一に、大きな影響力をもつ大物政治家の暗殺が、白昼の街頭演説の真っただ中でなされたということ。
逮捕された容疑者は、旧統一教会への恨みを口にし、安倍氏直接的な恨みがあるわけでない、という。
この奇妙な動機が第二の衝撃である。
発端にある私的な動機と、その帰結である政治的大きさの間の不釣り合いである。
第三に、手製の銃による犯行という点。「銃」と「普通の人」の取り合わせのちぐはぐさ。‥‥』
『‥かくしてこの事件の奇妙さは、その全体の構図がまったく調和を失っている点にあろう。
われわれが通常考える行動の手順や社会の秩序に従って理解することができない。
この均衡を失した構図にこそ、今回の奇妙なテロのもつ現代性があるのではなかろうか。‥‥』
『‥だがこれは通常の政治的テロではない。
不気味さは、政治的意図をもたない私的な復讐心が、開かれた公共空間へ銃弾を撃ち込んだ点にある。
交わるはずのない私的な復讐と政治的な空間が重なったのだ。
だから、単純に「民主主義への挑戦」というわけにもいかない。話はもう少し複雑なのである。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。「交わるはずのない私的な復讐と政治的な空間が重なった」ですか‥‥。
9月2日は、7月8日に安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから、2カ月になろうかというタイミングです。
あの時に受けた「衝撃」や「不気味さ」の本当の理由が、佐伯先生の論評を読むことによって、
ようやく私にも理解できたように思います。