昨日の続きです‥。
4月22日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、池井晶樹さんの
「やさしさは/このちちよりも/このははよりもとおくから/
受け継がれてきた/ちまみれなばとんなのだから」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『いつか頬が痩(こ)け、瞳も凍りつく日が来ようとも、怯(ひる)んでも憎んでも悔いてもならぬと、
詩人は子供らに語りかける。
「やさしさ」が重くなって、どこかへ置いて行きたくなっても、「ひかりのほうをむいていよ」。
贈り継がれてきた深い慈しみを誰かに手渡せる日までと。
「手から、手へ」(写真・植田正治、企画と構成)・山本純司)から。』
はぃ、今の私が置かれている状況では、この「ことば」と「解説」は深く心に染み渡ります。
とりわけ、「ちまみれなばとんなのだから」というフレーズが‥。
はて、私は、「贈り継がれてきた深い慈しみ」を、誰かに手渡せることができるのかしら?
忸怩たる思いがあります‥‥。
追記
今日は、年金事務所と証券会社に行ってきました。
松山市内は徒歩で移動しましたが、歩数は一万歩を超えていました。こんなに歩いたのは久しぶりのことです。