つい先日までの暑さがウソのようです。
今朝は、半袖ではちょっと寒いくらいの気温となりました‥。
さて、昨日の続きです‥。
9月26日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、土門拳さんの
「いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『続くことばも味わい深い。「計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る」。
作為をはぐらかすのだ。そういう写真を「鬼が手伝った写真」だと、写真家は言う。
教育だってそう。子どもは「育てる」よりも「育つ」ものと考えたほうがいい。
大人がなすべきは、そこにいれば子どもが勝手に育つような空間を用意しておくことだろう。
写真・文集「風貌」から。』
「写したのではなくて、写った‥」
なるほど、「いい写真というもの」は、そういうものなのですね‥。
「写真」や「教育」に限らず、「人生」というのも「そういうもの」なのかもしれません。
「計算を踏みはずした時」に、意外といい結果が生まれることもあります。
これって、「鬼が手伝った人生」‥‥?