昨日の続きです‥。
9月14日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、開高健の
「経験には鮮烈と朦朧(もうろう)がほぼ等質、等量にある。この魔性が人を迷いつづけさせる」
という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『映画館で観た本編前のニュースに、貧しくて弁当を持ってこられない小学生が一人、
校庭を所在なくうろつく姿が写った。
カメラに気づいてその子が浮かべた「薄弱な笑い」は、まさにかつて中学生の自分が浮かべたそれだった。
その笑いは「私には痛覚そのもの」だったとしつつ、作家はその時自分が流した涙に疑いを向ける。
冷厳な視線である。随想「パンに涙の塩味」から。』
う~む‥‥。
今回の「ことば」とその解説は、私には難しすぎて意味不明でした。
まず、経験に鮮烈と朦朧がほぼ等質、等量にあることが、どうして「魔性」なのかしら?
次に、「薄弱な笑い」→「痛覚」→「涙に疑い」
これがどうして「冷厳な視線」につながるのかしら‥‥??