米・ウクライナ首脳会談決裂についての続きです‥。
3月3日付けの溜池通信・不規則発言で、「かんべえ」さんは、次のように述べられていました。
『〇攻め込まれて、やむなく戦っている国の首脳に対し、自分たちの軍事援助に対する感謝の念が足りない、
などと説教するような国だったのか、アメリカは。
〇ホワイトハウスに招かれたら、戦時の宰相であってもスーツを着ていかないとマナーにもとる、
というほど格式の高い国だったのか、アメリカは。
〇大統領の機嫌を損ねたから援助を止められても仕方がない、
などというくらいトップがお偉い国だったのか、アメリカは。大統領は専制君主ではない。
任期が終わればタダの人になる。それがジョージ・ワシントン以来の矜持ではなかったのか。
〇こんな言葉は英語にはないけれども、「義を見てなさざるは勇なきなり」という心意気を持っていたのが
アメリカではなかったのか。手ぶらで帰っていくゼレンスキーに対し、
「済まない!」と感じるのが本来のアメリカ人ではないのか。‥‥』
「かんべえ」さんのこの「発言」を読んで、私は溜飲の下がる思いがしました。
トランプ・バンス政権のアメリカに「失望感」を抱いた人は、世界中にたくさんいるのではないでしょうか?
ところで、国際政治学者の高坂正暁先生は、その著書「国際政治」の序章で、次のように述べられています。
『各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。
したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である。
国家間の平和の問題を困難なものとしているのは、
それがこの三つのレベルの複合物だということなのである。
しかし、昔から平和について論ずるとき、人びとはその一つのレベルだけに目をそそいできた。』
今のアメリカは明らかに、このうちの「価値の体系」というか、「ソフトパワー」なるものを、
著しく毀損していると思います。「かんべえ」さんご指摘の、「心意気の喪失」です‥‥。