愛媛県内子町出身のノーベル賞作家・大江健三郎さんの講演が、
昨日(21日)、松山市内の子規記念博物館で開催されたみたいで、
その講演要旨が、今日の愛媛新聞に掲載されていました。
講演要旨の最後の部分は、次のような内容です。
『作家魯迅は「道は人々が歩き始めて道になる」と言った。
誰もいなかった国会前に人が集まってくると、変わってくるものがある。
原発事故の記憶を持っている私たちに何ができるか。
自分たちが歩き始めるほかない。一緒に歩くことは道が開けること。
みんなで一緒に歩こうじゃないか。希望と道は同じようなものである。』
う〜ん、なるほどに説得力のある言葉ですね。
このような考え方が、脱原発運動の精神的支柱になっているのですね。
ただ、ちょっと違和感があるのは、
大江先生が、伊丹万作さんの終戦に関連するエッセーを紹介した部分です。
『「戦争が終わった時、みんなだまされたと言ったが、
だまされた方も悪かった」と言っていた。
「批判力や思考力、信念を失い、判断力を委ねるようになってしまっていた
国民全体の無気力、無反省、無責任などが問題なのだ。」と。』
原発に、私たち国民はだまされたのでしょうか?
いつ誰が原発の安全神話を作ったのでしょうか?
私たち国民は、終戦時と同じように、無気力、無反省、無責任なのでしょうか?
中長期的に脱原発の道を進むことが正しい道だとしても、
それまでに解決すべき問題、あるいは解決できる問題が
たくさん残っているような気がしてなりません。
脱原発以外の道には、「希望という道」はないものなのでしょうか?
これからも、私なりに考えていきたいと思います。
重い話はここまでにして、
今週は、明日も含めて飲み会が続きます。
せっかく継続してきた日記が、またしても一旦中断しそうです。