今月14日の読売新聞「名言巡礼」では、
壺井栄の小説「二十四の瞳」が、次のように紹介されていました。
『内海湾を抱く岬の先にあった小学校の分教場が、
壺井栄の小説『二十四の瞳』の舞台となった。
物語は、1928年(昭和3年)4月に、
女学校を出たばかりの大石久子先生が赴任して来る場面から始まる。
「このひとみを、どうしてにごしてよいものか」
受け持ちの1年生12人を見て、大石先生はこう思う。
それは、新人教師の決意であり、子どもを見守る母のようなまなざしであり、
幼き者を慈しむ人間愛でもあったのだろう。』
実は私は、この歳になっても、この小説を読んだことがありません。
読んでいないけれどもその内容は、戦争の悲惨さ伝える「反戦小説」と理解していました。
しかし、記事では、岬の分教場保存会の専務理事さんが、
『「二十四の瞳」はよく反戦の物語と言われますが、
私は“共感力”の物語でもあると思っています。』と語られていて、
『確かに、大石先生は何も解決できなかったのかもしれない。
だが、一人ひとりを思い、その気持ちに寄り添った。
そして何もしてあげられぬ時は、涙を流した。』という解説が添えられていました。
そして、記事の最後は、
『二十四の、とは言わない。
せめて、目の前にいる瞳だけでも、曇らせないようにしよう。
どんなに非力な自分だとしても、そう願う気持ちさえあれば、
きっとできるはずだから。』という、考えさせられる文章で締めくくられていました。
この「目の前にいる瞳」という言葉で、すぐに孫娘のことが思い浮かびました。
孫娘は、今月25日で2歳と11か月になります。もうすぐ3歳…。
おしゃべりで、やんちゃで、わがままで、
時に、私の手に負えず、無性に腹が立つことがある孫娘……。
それでも確かに、今のその瞳には一点の曇りもないように思います。
「このひとみを、どうしてにごしてよいものか。」
大石先生のように、孫娘の気持ちにどれほど寄り添うことができるのか……。
子育てをまともにしたことがない私には、それはとても難しいことです。