今月14日の日経新聞「経済教室」は、
福田慎一・東京大学教授の『米低成長の陰に需要不足』でした。
福田教授の論考によると、
先進各国で成長率の鈍化が顕著となるなかで、
長期停滞論に関する議論が活発となっているそうです。
人類は産業革命後の250年間、目覚ましい経済成長を遂げたけれども、
このような高成長は人類史上の例外的な期間で達成されたものにすぎず、
もはや同様の技術革新は難しく、
近年のIT(情報技術)などの技術的ブレークスルーは、
過去の技術革新には大きく見劣りし、
成長のエンジンとしては力不足だという米国の論客の見解を紹介していました。
さて、改めて考えてみると、
「経済は停滞することがあっても成長する」というのが
長期停滞論に関する議論の大前提であるように思います。
それはさておき、今回の論考で勉強になったのは、
資本主義には格差を自然と生じさせる傾向があり、
富と所得の格差は、低インフレ下での異次元の金融緩和で
さらに拡大する可能性があるという記述でした。
そして、どうやら富の集中は、
不平等という社会問題を生み出すだけでは済まないようです。
一般に富裕層は消費性向が低く、その所得の多くを貯蓄に振り向けるのに対して、
所得の低い層は貯蓄する余裕がなく、結果的に消費性向が高くなる傾向にあり、
大幅なデフレギャップが存在するもとで富の集中が起これば、
それだけ経済全体で消費に回るお金は減り、長期停滞を長引かせる要因となる、
このように論考は指摘しています。
問題なのは、日本経済の成長率は今後数十年間、
長期停滞が指摘される他の主要国よりも
さらに低いとする見通しがむしろ一般的であるということです。
長期停滞を回避するためには、日本経済が置かれた状況の危機感を共有し、
大きな痛みを伴う改革も例外としない毅然とした姿勢が求められるという、
レポートの最後に述べられている福田教授の言葉が強く印象に残りました。
論考のキーワードは、「人口減」と「財政難」、
そして、「金融政策に過度に依存する体質からの脱却」のようです。