先日の「とある日」、娘と会話していると、年金の話になりました。
日本の公的年金は、「積立方式」ではなく「賦課方式」で、
働く現役世代が引退後の高齢者を支える仕組みであることは、
二人とも理解しているつもりだったのですが、
娘は、「自分が高齢者になった頃には、
現役世代は今よりずっと人口が少なくなっているので、
今、私が懸命に保険料を支払っても、年金はもらえないのではないか。」
というような心配をしていました。
この娘のもっともな懸念に対し、私はまともに答えることができず、
歯がゆい思いをしていましたが、
今月2日の日経新聞「やさしい経済学」の
『公的年金の保険原理を考える(5)~生産性向上と経済拡大が重要』に、
その答となるような記述が、次のように書かれていました。
『日本国民の年齢構成は多くの若者が少ない高齢者を支える「騎馬戦型」から、
少ない若者が支える「肩車型」に変わるから、
年金を将来もらえるはずがないという懸念を聞くことがあります。
こうした懸念には暗黙の前提があります。
それは、経済の大きさや国の豊かさは働き手の数で決まるというものです。
しかし、この前提は妥当でしょうか。
稲作で成り立つ経済を考えてみましょう。
今まで100ヘクタールの水田を100人が鍬(くわ)で耕し、
手で田植えをし、鎌で刈り取ってきたとします。
そこで働き手が10人に減れば、コメの生産は減り、
人々は貧しくなって、高齢者扶養は困難になるでしょう。
しかし、トラクターや田植え機、コンバインが導入され、
これらの農業機械が力を発揮できる圃場整備が進んだらどうでしょうか。
5人で100ヘクタールの水 田耕作が可能になり、
すなわち労働生産性が大きく上昇し、人々は以前より豊かになるでしょう。
つまり、働き手が減る以上に労働生産性が上がれば、
高齢者扶養には何の問題もないのです。
経済には「足りないものはなるべく有効に使うよう誰もが工夫する」
というメカニズムが備わっています。
今後、若者は減っても、あらゆるモノがネットにつながるIoTや
人工知能(AI)など、技術革新と労働生産性向上の扉はいくつもあります。
まだ見えていないが5年後には見えてくる扉もあるでしょう。
肩車型社会での高齢者扶養が克服すべき課題であることは事実です。
その解決策は、労働生産性の向上と経済の拡大にこそ求めるべきです。
科学技術の発展を促し、その成果を次々に実地に応用していく
前向きな風を吹かせること、これが解決策につながるのです。』
う~む、なるほど……。とても分かりやすい説明です。
でも、今の日本に、本当に「前向きな風」は吹くのでしょうか…?
年金は「信じる者は救われる」ということでいいのでしょうか…?
先ほどの例え話にある「圃場整備」についても、
日本には急傾斜地や中山間地など条件不利な土地が多いことだし……。
「経済の大きさや国の豊かさは働き手の数で決まる」という前提は、
ある程度、当たっているような気がするのですが…、違うのかな?
娘ともう一度、話し合ってみることにします。