9月になってから真夏のような暑さが続いています。
特にこの2~3日、日中はうだるような暑さでした。
‥‥ということで、なんにもやる気が出ないのを暑さのせいにしています‥‥。
さて、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、思想家・ヴォルテールの
『われわれはすべて弱さと過ちからつくりあげられている。
われわれの愚行をたがいに宥(ゆる)しあおう。これが自然の第一の掟(おきて)である。』
という言葉で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『人はみな「脆弱(ぜいじゃく)で無定見であり、不安と誤謬(ごびゅう)に陥りやすい」と、
18世紀フランスの思想家は言う。そして何ごともおのれを基準に評価する人間の傲慢(ごうまん)
を諫(いさ)めた。その反省はまずは自らの文化に向かった。
キリスト教という、もっとも強く寛容を説くべき宗教がなぜもっとも不寛容な歴史をもったのかと。
「哲学辞典」』(高橋安光訳)から。』
う~む‥‥。
私も妻から、「あなたは何かにつけ、自分を基準に評価する」と、お叱りを受けます。
ということは、私も傲慢な人間の一人ということになります‥‥。
そして、鷲田さんの解説にある
「キリスト教という、もっとも強く寛容を説くべき宗教がなぜもっとも不寛容な歴史をもったのか」は、
私も昔から疑問に思っていることなのですが、勉強不足で未だによく分かりません。
いや、「人間の不寛容さ」は、キリスト教だけでなく、どの宗教をもってしても、
対処が困難な「本性」なのかもしれません‥‥。