『池上彰の宗教がかれば世界が見える』(池上彰著:文春新書)を読了しました。
まず池上さんは、この本の第1章で、
「宗教はよく死ぬための予習」だとして、次のように述べられていました。
『私は、宗教を考えることは、よく死ぬことだと思っています。
宗教は「死のレッスン」と言った人もいます。つまり、どう死ぬかという予習なのです。
よりよく死ぬとは、よりよく生きることでもあります。
よく生きることができれば、従容として心穏やかに死を迎えられるのではないか、と思うのです。
むろん何も思い残すことはないというのが理想です。しかし、たとえ思い残すことがあっても、
自分は生きてきた中でそれなりのことはやったという思いがあれば、
死ぬことを、しようがないことだとどこかで納得できるのではないか。
死の予習をすることが、よりよく生きることにつながる。
それが宗教を考える意味だと、私は思っています。』
続く第2章から第8章までは、宗教に関係する7人の専門家の方へのインタビューで構成されていて、
このなかでは、第5章の山形孝夫・宮城学院女子大学名誉教授による
キリスト教のお話が心に残りました。池上さんは、インタビューを終えて、次のように解説されていました。
『キリスト教のメッセージは「愛」だと言われますが、山形さんは、イエスの言う愛とは、
「悲しみを知ること」に限りなく近いのではと言います。
これが、キリスト教が多くの人々の心を捉えた秘密かも知れません。
それはまた、仏教でいう「慈悲」の「悲」に通じるのだそうです。
「最後の審判」を待ち望む人々の背景には、現世が厳しければ厳しいほど、
人々は最後の審判を待ち望み、「神の国」の到来を待ち続けます。
そこには、現世の生、老、病、死の苦しみから抜け出したいと考える仏教徒の思いと
重なる部分があります。これが宗教というものでしょう。』
ところで、私はどうかというと、
「あなたの宗教は何ですか?神・仏を信じますか?」と問われると、答えに窮してしまいます。
一応、自宅には神棚と仏壇があり、毎朝、それぞれを拝んでから出勤するのが日課になっています。
そして、うまく言えませんが、神様・仏様を信じるというよりも、
この世の真理を司り、自然界を支配する、人知を超えた「宇宙という存在」を畏れています。
こうなると、「私にとって宗教とは何か」という根源的な問いかけになって、
訳が分からなくなりそうですが、池上さんは本書の最後に、次のように述べられていました。
『宗教に救いを求め、人生の答えを求める。それにより、日本の宗教も変化する。
宗教を知ることによって、世界も見えてくる。これが、宗教と私たちとの関係なのでしょう。』
「はぃ、分かりました‥‥。」と言いたいところですが、
結局、「自分とは何か」を含めて、この世の何ひとつ分からないままに、一生を終えてしまいそうです。
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/07/01
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 78回
- この商品を含むブログ (35件) を見る