今日の日経新聞「核心」は、
コラムニスト平田育夫氏の『政治家の再定義を〜「分け与える人」今は昔』でした。
『高齢化や債務危機などで多くの先進国では経済と財政の再建が最大の課題で、
ギリシャ、イタリアでは、政治家の手に負えず、
経済の専門家に国政を委ねる事態にもなっているが、
日本の政治家も痛みを伴う経済・財政の再建に悩み、迷っている。』
平田さんはこのように述べられたうえで、
改革には国民との危機感の共有が大きなカギを握ると指摘されています。
そして、老大国イギリスを蘇生させたサッチャー英元首相の改革は
何が奏功したのかについて、次のように書かれています。
『自伝「サッチャー回顧録」によると、
自身が野党時代に接した多くの英国民は「活力にあふれ、
自主独立の気概を持ち、国の衰退に気をもんでおり、
衰退を逆転させるために必要な苦しい手段を受け入れる覚悟が、
多くの国会議員以上にできていた」という。
国民への信頼が11年半の大改革を支えたのだろう。
日本人も愚かではない。分別を信じてよいはずだ。』
う〜ん、なるほど。
この精神は、福沢諭吉の「国を支えて、国を頼らず」の世界ですね。
忍耐強さは日本民族の優れた資質の一つ。
英国人にできて日本人にできないわけがありません。
一方、政治家の方はどうでしょう?
平田さんは、次の言葉で記事を締めくくっています。
『衆院選で問われるのは「再建請負人」としての覚悟。
憎まれ役が苦手な人は議員に向かない時代だ。』
でも、「憎まれ役」は選挙で当選できないのが、民主主義の抱えるジレンマです。
果たして来月の衆院選挙では、
国民の側も「憎まれ役」を選ぶ「覚悟」があるのでしょうか?
肝に銘じたいと思います。