しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「想い」をどう届けるか

今月8日付けのニッセイ基礎研究所のレポート「研究員の眼」を読んで、
懐かしいというか、ほろ苦い思い出がよみがえりました。
レポートの題名は、
『“サクラサク”、“サクラチル”に込められた「想い」
 〜通信技術の進歩とコミュニケーション』で、山田善志夫さんが執筆されていました。

レポートは、次の文章で始まります。
『昭和50年代後半までは、大学入試の合否連絡のひとつとして電報が使われていた。
 この「合格電報」は、昭和31年、早稲田大学で最初に登場し、
 その時の電文が「サクラサク」と「サクラチル」であった。
 それ以降、「合格電報」は全国の大学に広まり、
 各大学が創意工夫を凝らした、ユニークな電文が使われ始めた。』

また、レポートでは、
『そもそも、「合格電報」は大学による正式な合否連絡ではなく、
 部活動の資金を捻出するために学生が始めたものだと言われている。
 合格、不合格にかかわらず、電文が心に残るのは、
 同じ大学入試を体験した先輩からのお祝いと励ましの
 「想い」が詰まっているからであろう。』と指摘しています。

どうやら、レポート執筆者の山田さんも、
不合格電報を受け取った経験をお持ちのようですが、
かくいう私も、高校現役の時に大学入試に失敗し、不合格電報を受け取りました。
その際の文面には、「○○ユキフカシ。サイキイノル。」と書かれていましたが、
「○○」の部分が、「トウホクノ」であったのか、「ミチノクノ」であったのか、
随分と昔のことで記憶は定かではありません。
いずれにしても、傷心のまま、浪人生活を送るために、京都に旅立ちました。

現在の合否発表は、
大学のホームページへの掲載やメールでの連絡が主流となっているとか…。
そういえば、我が娘も、大学入試の合否を携帯電話で確認していました。
それを聞いた時には、「なんと味気ない…。」と思ったものです。

レポートの最後は、次の文章で締めくくられていますが、私もまったく同感です。

『人と人とのコミュニケーションの本質は心の中の「想い」を相手に届けることである。
 インターネットやスマートフォン、携帯電話等の普及により、
 コミュニケーションの手段や手法は大きく変化し、
 利便性や効率性も飛躍的に高まっている。
 通信技術の進歩や環境の変化に応じて、
 「想い」を相手にどう届けるかがますます重要になっているのではないだろうか。』