今月22日の読売新聞「論点」は、
太田洋・東大大学院教授の『都知事選〜「脱原発」争点たり得ず』でした。
「疑問」、「理解」、「違和感」など
自治体首長からも賛否両論の意見があるなかで、論点の整理に役立つ論評でした。
太田教授は、設定される課題・争点について、
自ら具体策を提示し、ひとたび有権者の指示が得られた場合には、
それを実行に移すことが「実際に」可能であるということが重要である、
そうでなければ、課題・争点の設定は、
何ら解決についての責任を伴わない、単なる言いっぱなしの「床屋政談」になってしまう、
と指摘されたうえで、次のように述べられています。
『脱原発は、国のエネルギー政策の根幹に関わる問題ではあっても、
原発立地自治体でもない東京都にとっては、
政治上の課題・争点ではあり得ず、東京都のトップを選ぶ知事選の争点としては
ふさわしくないことは明らかであろう。』
そのほか、争点化に否定的な代表的な考え方は、
太田教授の次の記述に現れていると思います。
『都政には、直下型地震への備えのほか、
東京五輪・バラリンピックに向けた都市基盤整備、
待機児童の解消に代表される子どもを育てやすい環境の整備、
若者の失業対策や特養ホームの充実を始めとする社会福祉政策など、
地域に密着した課題が山積している。』
これに対し、
東京都が多数の原発を抱える東京電力の大株主であることや、
東京が電力の一大消費地であることなど、
争点化に理解や賛同を示す考え方も、太田教授は紹介されています。
「地方自治の本旨」を学んできた私は、
エネルギー政策のあり方を自治体レベルで議論するのは結構なことだけれども、
それをシングルイシューで「争点化」するとなると、どうしても腰が引けてしまいます。
こんなことを考えていると、
翌23日の読売新聞「編集手帳」には、
『工具箱にハンマーしかないと、あらゆる問題が釘(くぎ)に見えてしまう。』
という引用がありました。
『一軒の家を建てるにはノコギリも使えばノミもカンナも使う。
金づちしか入っていない工具箱の大工さんには誰しも、
大事な我が家の施行を頼みたくはなかろう。』というのがその趣旨のようです。
さらに、コラムでは、
『“得意な手”のスローガンで玄関を飾り立てて、
あとはおざなりの安普請は願い下げである。』との鋭い一節もありました。
どうやら竹内コラムニストは、「脱原発の争点化」がお気に召さないようです。