よく晴れた一日となりました。
日中も涼しくて、ようやく秋の「空気」が訪れてくれたようです。
それもそのはずで、一昨日の8日は二十四節気の「寒露」でした。
ちなみに、「こよみのページ」を読むと、次のような解説がありました。
『冷たい露の結ぶ頃。秋もいよいよ本番。
菊の花が咲き始め、山の木々の葉は紅葉の準備に入る。
稲刈りもそろそろ終わる時期である。』
さて、「空気」といえば、
昨日9日の日経新聞「春秋」に、次のようなことが書かれていました。
歴代の中央卸売市場長の仕事ぶりを「無責任体制」と断じ2週間余。
依然、いつ、誰の、どんな判断で地下空間ができたのかが不明で
「空気の中で進んでいった」としかわからぬ状態が続く。
知事は「歴代の市場長は退職者も含め責任を明確にする」と、
ケジメをつけるのに躍起だ。』
この一面コラムを読んで、
山本七平さんの『「空気」の研究』(文春文庫)を思い出しました。
この著書で山本さんは、
・日本人は、その存在を意識的に確認できにくい「空気」に拘束されている。
・空気とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、
それに抵抗する者を異端として社会的に葬るほどの力を持つ超能力である。
と述べられていました。
う~む……。
先の大戦で、「空気」によって戦艦大和の特攻出撃を決めた軍令部……。
戦後70年経っても、都庁にそのような軍令部的「空気」が存在していたのですね。
いや、都庁に限ったことではなく、私たちのごく身近で小さな組織にも、
このやっかいな「空気」は存在しているように思います。
その場の「空気」を壊すのは、簡単にはできないものがありますよね…。