普段はほとんど読むことがない、相撲に関する新聞の記事を読んでいたところ、
今日の愛媛新聞の「さじき席」というコラム欄で、
稀勢の里が一昨年末、母校の中学校の講演会で誓うように語ったという、
次のような言葉に目が留まりました。
『相撲に勝ちお客さんが喜んでくれる笑顔を見るという1パーセントの喜びが、
99%の厳しさやつらさを全て忘れさせてくれる。
だから辛抱して自分の信じる道を進むのが何より』
う~む……、素晴らしい。
今日はこの言葉に出合えただけで、とても清々しい一日となりました。
稀勢の里といえば、これまで何度も優勝のチャンスがありながら、
しかも、次の場所で優勝すれば横綱は確実と言われながら、
そのたびごとにファンを裏切るような結果しか残すことができませんでした。
大事な局面での「弱さ」に、歯がゆい思いをしてきたのは私一人ではないと思います。
その「歯がゆさ」という感情というのは、
「一生懸命努力しても結果がなかなかついてこない」、
あるいは、「肝心な時に普段の力を発揮できない弱い自分がいる」
という冷徹な事実が、まるで自分の人生と重なるように思えたからかもしれません。
そして、今日の日経新聞「スポーツ」欄には、次のような解説もありました。
『7月には31歳を迎える。今場所中も年齢について聞かれると、
必ず「これからですよ」と応じていた。
遅咲きの大輪の花を咲かせた好漢、稀勢の里。
力士としての充実期はきっと、この涙の初優勝を機に訪れる。』
「力士としての充実期はきっと、この涙の初優勝を機に訪れる」
私もそう思いますし、また、そうあってほしいと願っています。