『官僚たちのアベノミクス~異形の経済政策はいかに作られたか』
読了後に振り返るとやはり、本書の一番最後に書かれていた次の記述が一番印象に残っています。
『いつのころだろうか。
日本では「決められる政治が善」で「決められない政治が悪」というムードが定着してしまった。
安倍も時折「決めた」ことを成果として強調する。しかし、それは時と場合によるはずだ。
常に「決められる政治が善」なのであれば、その究極は独裁政治だろう。
12年の暮れから13年の初めにかけて固まったアベノミクスという経済政策は、
今後もしばらく同じルールの上を走ることになりそうだ。
日銀が決める金融政策も含めて、様々な分野での国家意思の形成は、
今日も、明日もやむことはない。
しかし、PRやネーミングのうまさばかりに目を奪われていると本質を見失う。
本当は何を決め、何を決めていないのか。それは何を意味するのか。
権力を抑制するという観点から国会やメディアはそのフォローを
真摯に続けていくことが求められている。』
そして、本書には、「官僚」と「官僚組織」に関しての「名言」がいくつかありました。
・人間頼られれば、そして自分を活用してくれれば、意気に感じるものだ。
官僚組織はもともと自民党と親和性が高いが、お前たちをとことん使うぞという
甘利(甘利明・経済財政担当相)の方針は大歓迎だった。
・霞が関では「文書」を念頭に置く文化が形成されてきた。
最近は「文書を作らない、残さない」という傾向が強くなってしまったが、
同じ省内の局同士の了解事項から役所間の合意まで、文書で作り、
その一言一句を詰める習性があった。
・彼ら(官僚)の特性の一つは、何か対立する問題で議論していても常に「落としどころ」を考えることだ。
期限が切られていればなおさらだ。答えが出せなかったでは済まされないことがあれば、
議論を双方が満足する形で着地させなければならない。
そういう妥協点とか「落としどころ」を探るのは霞が関官僚の最も得意とするところだった。
・できない理由を探すのが官僚機関だ。~(中略)~ 官僚にとっては引き分けが勝ちなんですね。
・会議はただ開けばいいというものではない。動かし方がある。
・「一丁目一番地」というのは最優先事項を意味する。日本の永田町や霞が関で通用する用語だ。
・日本の政策形成の特徴の一つに「雰囲気」がある。
・官僚は自らの公式な立場と内心考えていることとの間に微妙な違いが生じることがある。
ところで、本書にも書かれていましたが、
「デフレはなぜ生じているのかという理論的な問題をどうみるか」については、
次のどちらが正しいのか、私はいまだによく分かりません。
・デフレはマネーの現象なのだから、お金を大量に発行すれば解決するというリフレ派
・デフレは経済構造を含めた総合的な問題の結果なのであり、
金融政策だけでは解決しないという日銀
そういえば、あの時はどうだったのか‥‥?
いずれまた、「圧倒的な事実」に基づいて書かれた本書を、読み直すことになると思います。
官僚たちのアベノミクス――異形の経済政策はいかに作られたか (岩波新書)
- 作者: 軽部謙介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/02/21
- メディア: 新書
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