節分の日の今日は、冷たい雨がお昼過ぎから降り続いています。
さて、大澤真幸さんの『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)を読んで、
書棚にあった、三島由紀夫の最高傑作と言われる、『金閣寺』(新潮社)を読み直してみました。
私が『金閣寺』を読んだのは、確か二十歳過ぎの大学生の頃だったと記憶しています。
今回、読み直してみて、当時の私は、この華麗な文体や文章表現、
さらには、著者が小説で言いたかったことを、果たして理解できていたのかと思います。
だって、少しは理解度が深まっているのかと思ったら、やはりこの歳になっても、私には難解でしたから‥‥。
ところで、大澤さんは先ほどの著書で、『金閣寺』には「二つの論理」が走っているとして、
次のように述べられていました。
『まずは、美の論理。美とは、現象がそれ自身のうちに差異を孕み、「それ以上のもの」
「それ以外のもの」への暗示をともなうこと、これである。
「それ以上のもの」「それ以外のもの」は、しかし、積極的には何ものでもなく、
〈無〉であると言うほかない。したがって、美しい対象は、無を意味するところの記号のようなものだ。
これが第一の論理だ。第二の論理を構成しているのは、この「無」を実在化し、積極的な実体へと
~独立の実体としてのイデアへと~変容させる所作である。その所作とは、逆説的なことに、
現象をトータルに否定すること、現象を無化することだ。
小説の文脈では、金閣への放火に対応している。
三島の文学だけではなく、彼の人生の中にも、この否定の身振りがいくつもちりばめられている。』
う~む‥‥(沈黙)。ますます分からなくなりました。
それにしても、三島由紀夫の作品は海外でも翻訳されて読まれているそうなのですが、
どうやったら海外の人に、その独特な「世界観」を伝えることができるのでしょう?
NHK・Eテレの「100分de名著」で、三島由紀夫の作品を取り上げて、
有識者の方が分かりやすく解説していただければ有難いのだけれど‥‥。
ただ、政治思想に絡んでくると、ちょっと難しいような気がします。