昨日この日記に書こうとしたテーマは、どうやら相性が悪そうなので書くのを止めにします。
ということで、日経新聞文化欄で連載中の『令和の知をひらく』から‥‥。
連載四回目の今日は、歴史学者・呉座勇一さんへのインタビュー記事で、
呉座さんは「歴史を学ぶ意義」について、次のように述べられていました。
・歴史を学ぶ意義は大きく2つある。1つは現代の相対化だ。
かつて、いま我々がいる社会とは全く違う仕組みの社会が存在した。
異なる常識で動いていた社会を知ることが、我々の価値観を疑ったり
「絶対に変えてはいけないものなのか」と問いかけたりするきっかけになる。
女性・女系天皇を巡る議論も、歴史を知ることなしにはできない。
・もう1つは、社会の仕組みが異なっても変わらない部分を知ること。
親子や兄弟の絆、宗教的観念などは、時代を超えて今につながるものがある。
この両面を通して、我々はこれからどう生きるべきか、ヒントを引き出せるのではないか。
・歴史を叙述すれば、どうしても物語に接近していく。
だからといって、書きたいように書けばいいわけではない。
正解がわからなくても「これはあり得ない」ということはある。
間違った事実に基づく主張に対して、
歴史的事実が誤っていると指摘するカウンターの役割を、歴史学者は担うと考えている。
・私が専門としている日本の中世は、権力の軸が見えづらい、多極的な社会だ。
現代に通じるものがある。見通しが立たない時代こそ、リアルタイムの動きばかり追っていると、
変化の波に翻弄されてしまう。歴史を振り返り、長期的な視野に立つことが大切だ。
う~む、なるほど‥‥。
なお、呉座さんは、歴史学の根幹は、「情報を分析し、価値あるものを選び出していく」という
「史料批判」にあるとおっしゃっていました。
記事を読んで、学校の歴史教育の現場でも、
まずは「歴史を学ぶ意義」について、児童・生徒に教示すべきではないかと思った次第です。