お盆期間中の今日は、ご住職による先祖供養のご回行の日でした。
ご回行の日は14日と決まっていたものの、時間が未定のため、
私も妻も仕事をお休みして、ご住職の訪問を待つことになりました。
さて、『ラグビー・ロマン~岡仁詩とリベラル水脈』(後藤正治著:岩波新書)を読了しました。
本書は、選手として、監督として斬新な戦法をあみ出し、
同志社大学をラグビー界のトップに導き、多くの指導者を育てた、岡監督の足跡を描いたものです。
岡監督の人となりや指導法などについて、多くの印象に残る記述がありましたが、
そのなかのいくつかを、この日記に書き残しておこうと思います。
・ゆだねることに不安は感じなかった。人はしばしば間違いを犯すものである。
犯したら改めればいい。それに、そもそも部は部員のものであって部長でも監督のものでもない。
失敗を引き受けるのもまた部員たちなのだ。
学生を信じるのかどうか、信じられなかったら指導者はやめないといけない‥‥岡は何度かそう口にした。
〝岡イズム〟のエートスはこの言葉に集約されてあるように思えるのである。
・幕末期、長州藩士・吉田松陰は幽閉されてのち、松下村塾を開いた。
この塾からキラ星のごとく逸材を輩出したことはよく知られている。
後年、塾生たちの人物評を求められたさい、たとえ才恵まれぬ塾生であったとしても、
あえて好ましき面を取り出して語ったという逸話である。
松陰の本質が思想家であるとともにより教育者にあったことを物語っている。
人の美質を見出すことをもって教育者の才とするなら、同質のものを岡に感じるのである。
・上級生・下級生の差別はなく、キャプテンを選挙で選び、試合のメンバー選出をキャプテンに任せ、
ゲームの戦術選択も学生にゆだねる‥‥。
こういう〈同志社方式〉について、「辛気臭いといえば辛気臭いやり方ですが」と漏らしたことがある。
けれども、辛気臭いと思うことはあっても、苛立つことはない。
それは、岡が辛抱強い性格をしているからではなく、人はだれも、頭を打ち、失敗を重ね、
さまざまに体験を重ねるなかで変わり得ると思っているからである。
〈学生〉とは学んで新たに生れいずるものと書く。
そのことを本気で信じるものをロマンティストというなら岡はロマンティストである。
同志社大学ラグビー部といえば、大八木選手や平尾選手を擁して、
史上初の大学選手権3連覇を達成したことを、そしてその当時の圧倒的な強さを、今でもよく覚えています。
本書を読んで、その「強さの原点」を知ったような気がします。
そして、ラグビーという「走る格闘技」・「チームプレーと犠牲的精神」を体現するスポーツが、
ますます好きになりました。著者、後藤正治さんの格調高い文章も素晴らしかったです。

- 作者: 後藤正治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/09/20
- メディア: 新書
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