日経新聞では昨日1日から、澤部肇・TDK元会長の「私の履歴書」の連載が始まりました。
連載第2回目の今日は、『タマ先生 5年生で褒められ大変身 「元気で良い子」母励ました言葉』
というタイトルで、次のようなことが書かれていました。
『運命とは不思議なものだ。振り返れば一本道に思える人生も、色々な人に巡り合って、
無数の分岐点を経て今にたどり着いている。
タマ先生(注:小学5年生の担任だった亀田タマ先生)が伴侶を亡くす悲しみを知らなかったら。
5年生のときの担任でなかったら。父が結核になっていなかったら。
私の人生はまた違ったものになっていたかもしれない。』
今日の澤部会長のコラムを読んで、
私も母校・滋賀県大津市立晴嵐小学校の担任の先生を思い出してみました。
確か、1・2年生は服部先生、5・6年生は碓本先生で、残念ながら下の名前は思い出せません。
3・4年生は、男の先生だったことだけは覚えています。
そして、碓本先生が卒業アルバムに書かれていたと思われる
「鉄は熱いうちに打て」という言葉は、今でも不思議と記憶の片隅に残っています。
それよりも、小学校の卒業アルバムはどこにあるのかしら‥‥?
もう何十年も、その存在を忘れていました。
私が小学校の時にも、「人生の分岐点」がきっとあったはずなのに‥‥。