・ヤクルト時代、ボール球に手を出すなと指示したコーチに
「振るなと言って振らなくなるなら、コーチなんていらない。」と激怒したことがある。
野村監督の下でヤクルトのスコアラーを務めた安田猛氏は
「IDは数字じゃない。監督は言葉を求めている。
選手が安心して試合に臨める言葉をデータから導き出すことです」と話した。
徹底的な情報収集は、選手に伝えるただ一つの言葉を選択するためだった。
・極貧の家庭に育ち、いくつになっても母親の話になると目を潤ませた。
「人間には必ず弱点があるやろ。それが、わしには母親なんや」。
病弱だった母とのストーリーにはこちらもよく、もらい泣きした。
ヤクルトの監督時代、指導していた少年野球で捕手のキャッチングの手本を見せているうちに
高級スーツが泥だらけになった。野球に夢中になると他に何も見えなくなってしまう。
そんな人だった。
以上は、昨日、84歳でお亡くなりになった野村克也監督の、
新聞記事に掲載された「評伝」などのうち、私が特に胸を打たれた文章です。
野村監督が1965年に戦後初の三冠王に輝いたとき、私は小学校の四年生でした。
その当時、数少ないテレビチャンネルで放映されていたのは、
もっぱら、長嶋さんや王さんのいる巨人戦ばかりであったと記憶しています。
現役時代の野村監督の勇姿を、脳裏に残せなかったことが、今思えば残念でなりません‥‥。