まだ6月だというのに、今日は厳しい暑さとなりました。
いきなり真夏がやってきたような、そんな感じの一日でした‥‥。
さて、今月14日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、カトリーン・マルサルの
「経済人が理性と自由を謳歌できるのは、誰かがその反対を引き受けてくれるおかげだ。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『自己利益を動機にひたすら合理的に行為する「経済人」を軸に市場を考える経済学は歪(いびつ)だと、
スウェーデン出身のジャーナリストは言う。
日常生活をケアする人や職業がなければ、経済人としての彼らの活動もない。
経済の根底にはつねに人の身体的生存がある。経済学もそこから構築しなおすべきだと。
「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」(高橋璃子訳)から。』
う~む、これはとっても示唆に富むお言葉だと思います。
父が高齢者福祉施設に入居してから約二週間となります。
この間、私の日々の生活には、自由度が増すようになりました。
これも、施設の職員の皆さんが、父の世話をしてくださっているお陰だと感謝しています。
従来の経済学的な視点からすると、この私に与えられた自由な時間は、
生産的な社会経済活動に振り向ける必要があるのかもしれません‥‥。
ちょっと例に挙げるのは適切ではなかったかもしれませんが、そのように感じた次第です。
そして、今月12日の「折々のことば」は、
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とす」でした。
これは、明治の政治家・後藤新平の言葉と伝えられ、
プロ野球の野村克也監督も、これを口癖にしていたとの解説がありましたが、
以下の鷲田さんの解説は、省略させていただきます‥‥。