しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

それが大人というものだ

日経新聞電子版「Nextストーリー」で三回にわたって連載された

楠木建一橋大学教授の執筆による「学び×コロナ時代の仕事論」は、

「生き方について」、「仕事に向き合う姿勢ついて」等々、示唆に富む記述が満載の記事でした。

それぞれの回で、特に印象に残った箇所を、この日記に書き残しておきたいと思います。


『今日のわれわれは人類史上空前の「無痛社会」に生きている。

 「自粛要請」(というのもヘンな言葉で、自ら粛とするのであればそもそも要請不要)が続くだけで

 辛いだの不便だの不安だのという話になる。

 ごく近過去ではあるけれども、昭和というのは

 人がやたらと怒鳴られたり殴られたりしていた時代だった。

 昔と比べて世の中の「理不尽」は明らかに少なくなっている。それはそれで社会の進歩だ。

 しかし、いつの間にかわれわれは「何でもかんでもコントロールできる」と

 思い上がっていたのかもしれない。

 思い通りにならないことがあるとすぐに「何かが間違っている」「誰かが悪いはずだ」

 「どうしてくれるんだ!」‥‥これではあまりに幼稚である。

 世の中はコントロールできることばかりではない。

 コロナ騒動は、この当たり前のことを再認識し、生き方を内省する好機だと思う。

                               (第一回「今できることを粛々と」)


『べルナール・フォントネル(フランスの思想家)はうまいこという。

 「幸福のもっとも大きな障害は、過大な幸福を期待することである。」。

 民主主義にして自由主義レッセフェールの時代である。

 これだけ多くの人がそれなりに利害をかかえて自由意思で動いている。

 そんな世の中、自分の思い通りにならないのが当たり前で、

 思い通りになることがあったとしたらそれは例外だ。負けることの方がずっと多い。

 もちろん、うまくいくに越したことはない。それでも、負けは負けでわりと滋味がある。

 「そうは問屋が卸さない、か‥‥」などとつぶやきつつ、

 うまくいかなかった理由に思いをめぐらせるのはしみじみと味わい深いひとときだ。

                               (第二回「絶対悲観主義のススメ」)


『ある分野で圧倒的な能力を持つ人でも、別の分野になると意外なほどヌケているというのが面白い。

 あることは得意中の得意なのに、別のことになるとからっきしダメになる。

 考えてみればこれは当たり前の話で、強みと弱みはコインの両面なのである。

 何かについて不得手であるということが、そのまま別の何かについて得手である理由になっている。

 ここが人間のコクのあるところだ。

 だとしたら、「弱みを克服して、強みを伸ばす」というのは虫が良すぎる話だ。

 その人の最大の強みは最大の弱みと隣り合わせになってはじめて存在する。

 両者は切っても切れない関係で結びついている。

 下手に弱みを克服しようとすると、せっかくの強みまで矯めてしまうことになりかねない。

                                 (第三回「人は人 自分は自分」)

う~む、なるほど‥‥。

今の時代を生き抜く、すべての人々に向けての、真心がこもった助言だと受け止めました。

なお、楠木教授は、連載の最後の箇所で、

『自分一人ですべてに秀でる必要はない。世の中にはいろいろな得手不得手の人がいる。

 そうした人々の相互補完的な関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。

 他人を気にせず、自分と比べず、いいときも悪いときも自らの仕事と生活にきちんと向き合う。

 それが大人というものだ。』と述べられていました。


馬齢を重ねても大人になり切れない私には、とっても耳が痛いご指摘です‥‥。