今日は8月15日、敗戦から75年を迎えました。
日経新聞電子版には「戦後生まれ8割 戦争の記憶、令和に語り継ぐ」という見出しの、
次のような記事が掲載されていました。
『戦後75年。昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている。
戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるなか、
戦争の惨禍を次代に伝えていく取り組みが重要になっている。
総務省の人口推計によると、2019年10月1日現在、
戦後生まれの人口は1億655万人で、全体の84.5%を占める。一方、戦前生まれは1962万人。
現在と同じ形式で人口推計が始まった1947年の7384万人から70年余りで4分の1に減少した。
~ (中略) ~
戦争を経験した祖父母や親らから直接話を聞く機会が少なくなるなか、
令和の時代に戦争の記憶を風化させず、語り継ぐ重要性が増している。』
私はといえば、子供の頃、父からは「とにかくいつもお腹が減っていた。白米が食べたかった。」
「当時、働いていた九州の久留米で、防空壕の中からB29戦略爆撃機が飛ぶ姿を何度も見た。」
亡き祖母からは「低空飛行する米軍の戦闘機が機銃掃射するのを目撃した。」など、
戦時中の話をよく聞かされました。
ただ、子供の頃は、テレビの「0戦はやと」や「コンバット」から受ける、
戦争イメージの方が圧倒的に影響力があり、本当の意味での戦争の悲惨さを知ったのは、
随分と後になってからのように思います。
そして、今日の日経新聞「社説」では、「戦争の何を語り継ぐべきなのか」という見出しで、
『戦争を体験した世代は程なく去って行く。忘れられてしまう事柄は多いだろう。
だが、歴史のひとこまとなることで冷静に論議しやすくなる面もある。
何を語り継ぐのか、そこから始めたい。』と書かれていました。
また、今日の愛媛新聞一面コラム「地軸」には、
『戦争体験をそのまま覚えて伝えることが継承ではない。
なぜこんな悲惨なことが起きたのか。その背景に向き合い、
自身が置かれた社会状況に照らして問い続け、考え、行動に移すことが大切なのだろう。
「継承」ありきでは、戦争体験にちりばめられた現世代への警告を読み取ることができないと自戒する。』
と書かれていました。
戦後生まれの私は、戦争体験はなくても、
日本という国に生まれた以上、「負荷ありし自己」であることには間違いありません。
戦中派の父から聞いておくべき事柄は、まだまだたくさんありそうです‥‥。