しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

昭和51年の光景‥‥

マークスの山(上)(下)』(高村薫著:講談社文庫)を読了しました。

高村薫さんの著作を読んだのは、この推理小説が初めてでした。


物語も終末を迎えるころになって、ようやく「マークス」〈MARKS〉の意味するところが分かりました。

一方、最後まで分からなかったのは、飯場で岩田幸平に殺害された山口良二の行動履歴でした。

「経験豊かな山口がなぜ、あの日山を降りてきたのか?」

「山中で野村久志殺しの現場を目撃した‥‥。」

刑事たちの、この会話の中にしか書かれていなかったと思うのだけれど、本当にそのとおりだったのかな?


ところで、そもそもこの本を読もうとしたのは、今年9月18日の日経新聞「春秋」に、

「大学紛争、学生運動」に関連して、具体的な作品名は書かれていなかったけれど、

柴田翔さん、村上春樹さん、そして、高村薫さんの名前が挙がっていたからです。


はぃ‥、確かにこの本にも、「運動体内部の空気」というものに触れる記述がありました。

『‥‥野村久志は大学紛争当時、自治会に新しく出来た新左翼系グループの一員で、

 46年の年明けに大学側と行われた団交にも参加していた。

 野村のグループは大学封鎖を先導した強硬な一派で、学生運動の枠に留まらない政治的な背景もあり、

 当時公安の一番の監視対象になつていたという。

 同年1月末、大学側との交渉で最後まで抵抗した野村グループは、

 予告なしに大学側が構内に入れた機動隊との衝突で全員逮捕されたが、

 その際の取調べで、彼らは政治活動に関する自派の情報が公安に多数漏れていることを知ったと言われ、

 その後昭和60年に解体するまで、報復の内ゲバを繰り返したことの発端は、

 この時の逮捕にあったとも言われている。‥‥』


『‥‥かろうじて昭和51年という時代を振り返るとき、過激派の一派はなおも

 〈粛清〉とか〈総括〉といった言葉を冠した内ゲバを繰り返しており、

 ある世界では集団による暴行や殺人が日常だったこと、

 その世界に木原もいくらか関わったことが、異常な発想の下地にあったと言えるかも知れない。‥‥』


昭和51年といえば、私は21歳で大学二年生でした。

大学構内には、過激な文言の立て看板が所狭しと並んでいたこと、

学生会館はヘルメットを被った過激派に占拠されていたこと、

大学正門前には、常時、警察の機動隊の車が横付けされていたこと‥‥。

今でも、これらの光景を忘れることはありません。