『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』
本書の中で特に印象に残ったのは、佐藤さんと池上さんの次のような対話でした。
佐藤 第一章でも言いましたが、権力側との差を考えれば、
火炎瓶や手製爆弾では自衛隊はもとより機動隊にも対抗できないのですから。
新左翼運動は現代から振り返ればすべて「ロマン主義」の一言で括れてしまうと思います。
池上 ロマン主義であるがゆえにますます現実から乖離していった。
佐藤 ただ、だから新左翼は面白いのも事実なんですよ。
リーダーたち一人ひとり個性が豊かで、それぞれの党派にも個性がある。
それは彼らが、なろうと思えば大学教授や官僚、裁判官や弁護士、一流企業の総合職など
ゆくゆくは日本の中枢から動かせるくらいの知的能力も意欲も備えながら、
社会の矛盾を正したい一心で自分の人生全部を棒に振る覚悟でロマンを追求したからです。
既存体制の中にある知識人の欺瞞、大学の中の親分・子分関係にもとづくヒエラルキー、
そうしたものすべてに異議申し立てをすることで、人間の解放をしようと本気で目指していた。
そういう意味では、自分一人の栄達だけで満足できてしまえる二十一世紀型エリートではなかった。
そこはやはり評価しなければいけない点だと思います。
池上 ある種のノブレス・オブリージュ(高貴なものが宿命的に負う義務)を自覚していたとも言えますね。
京都での一年間の浪人生活を終えて、昭和50年(1975年)4月に早稲田に入った頃、
キャンパス内は、過激な言葉が書かれた立て看板が乱立し、
南門前の、学生会館だったと記憶している建物の屋上には、ヘルメットをかぶった人物が周辺を監視し、
大学正門前にはパトカーと機動隊の装甲車が、常時待機していました。
そして、当時、私が住んでいた学生アパート近くの石神井警察署には、
確か、「極左暴力集団取締本部」と書かれた看板が、玄関前に掲示されていたことを記憶しています。
さらに、巷では、過激派同士の内ゲバのニュースが流れていました。
この本を読んで、当時の私が、どのような「思想・信条」に取り囲まれて、
日々の大学生活を送っていたことが、少し理解できたような気がしています。
本書の中で、池上さんが触れられていた、柴田翔の「されどわれらが日々ーー」を、
この時期に感動して読んだことも、今となっては懐かしい思い出です。
佐藤さんが述べられていた「ロマンの追求」という言葉が、読後に残り続けました‥‥。