今日の日経新聞一面コラム「春秋」を読んで、かつて読んだ、懐かしい本のことを思い出しました。
『‥‥過激派の「中核派」の最高指導者、清水丈夫議長が約半世紀ぶりに、
その姿を当局に確認されたという。
数々のテロ、ゲリラといった非公然活動にかかわっていたとされ、警察も長く所在をつかめていなかった。
今月、東京都内の集会の場で壇上から、
最近の組織の危機と混乱について「責任は私にある」と述べたようだ。
中核派といえば、1971年に交番が襲われて警察官が殺害された「渋谷暴動」をはじめ、
敵対するグループのメンバーへの襲撃や、公共施設などへのロケット弾の発射など
数々の事件を引き起こしてきた。
80の坂を越えている清水議長の今後について同派側は
「大衆的な労働運動に取り組む」と語ったと伝えられている。
運動体の内部の空気や、当事者、脱落した人の苦悩は主に文学作品を通じてしか知る由がなかった。
これは、幸いなことなのか、不幸なことか。
50年を超える活動の経験を踏まえたトップによる真摯な総括こそ聞いてみたい。
世の中を、変えたいというのなら。』
このコラムで紹介された文学作品とは、
柴田翔さんは「されどわれらが日々」、村上春樹さんは「ノルウェイの森」、
そして高村薫さんは、私は読んだことがありませんが、「マークスの山」のことなのでしょうか‥?
学生運動がその末期を迎えつつあった大学生の頃、
そのなかでも柴田翔さんの「されどわれらが日々」は、これまで読んだ本の中で最も忘れ難い本で、
「我が家の奥様」をはじめ、「好きだった異性」ひとり一人に、一読を薦めてきた本でもあります。
ちょうどよい機会なので、
「されどわれらが日々」の中の、私の大好きな一節を、改めてこの日記に書き残しておこうと思います。
『‥‥やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかもしれない。
あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。
私たちの頃にも同じように困難があった。
もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれど、困難があるという点では同じだった。
そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。
だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、
新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。
そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、
今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、
そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかもしれない。‥‥』
はぃ‥、私も「こうして老いて」きました。その生に「それなりの意味」はなかったかもしれないけれど‥‥。