今日の日経新聞「大学」欄に、『「なぜ」問い自ら考える~経済社会の変化を読み解く』というタイトルで、
経済学者の猪木武徳・大阪大学名誉教授へのインタビュー記事が掲載されていました。
「何が重要かが見えにくい不安定な時代にこそ、筋道立てて考える力が求められるが、
どうすれば、社会の動きを深くとらえられるか、学ぶ姿勢、考えるヒントを聞く」という内容です。
主なQ&Aは、次のようなものでした。
Q 近著「経済社会の学び方」で、社会研究の大事さを指摘されています。
A 民主主義、市場メカニズム、技術革新にはいずれも個々人をバラバラにする力が働きやすい。
その結果、社会の公共性への感覚、他者や未来への意識が希薄になってしまう。
地域社会が崩れ、一緒に何かをするという精神も弱まって来る。
世の中で何が起きているか、現状を少しでも正確にとらえ、どう対応すればよいか、
自己確認が求められています。何が重要な価値なのかを自省せざるを得ない。
その際、素手で、とはいきませんから、経済学、歴史、統計学などの学問が助けになるのです。
Q どこに注意すれば。
A 書物で学ぶだけでなく自分で確かめる。これはおかしい、なぜだろうと問うことがまず必要になる。
社会科学も輸入学問の性格が強かったので、学びを重視し問うことがおろそかになった事情がある。
権威をありがたがり、通説で間に合わせてしまう。
自分で探究しようという姿勢があまり重視されてこなかった。
Q 何が足りませんか。
A 仮に、自然科学的な方法で問題の8割が説明できたとしても、2割の不確かな部分は残る。
しかし現実は待ってくれません。完全に分からない状態でも、決断しなければならないことは多い。
その時、頼りになるのは価値についての人文知、
つまり人間にとって結局何が重要なのかについての知恵です。
アダム・スミスが「道徳感情論」を重視したのは、そのためだと思います。
まず人間の研究があって、それから社会研究に進むのが順序なのでしょう。
ローマ時代の政治家キケロも指摘しています。
羊毛をあざやかな紫に染める場合、まずある種の薬剤につけるのと同様に、
精神も書物と自由学芸によって知恵を受け入れる手ほどきを受けるのが望ましいと。
自由学芸とは人文知、つまり人間の研究のことです。
「学ぶ姿勢、考えるヒント」と言われると、66歳の私には「すでに時遅し」の感がありますが、
でも、やはり、猪木先生のご指摘は勉強になります。
現実社会において、「完全に分からない状態でも、決断しなければならない時」、
「頼りになるのは価値についての人文知、人間にとって結局何が重要なのかについての知恵」なのですね‥‥。
人間の精神にとって「リベラルアーツ」が、
「羊毛を染める薬剤」のように大切な役割を果たすのではないかと、私なりに理解した次第です。