安倍元総理の国葬が、無事に終了したようです。
このときの世相というものを記憶しておくため、今日の日経新聞一面コラム「春秋」を記録として、
その全文を次のとおり、この日記に書き残しておこうと思います。
『日本武道館を抱える北の丸公園の一角に、吉田茂元首相の銅像がある。
戦後初の国葬後に建てられ、木立の間で静かにたたずんできた。
それがここ数日、急に身辺が物々しくなった。警官が絶えず見回り、ヘリが舞う。
近くのお堀には警視庁のダイバーが潜っていった。
とられた警備態勢は吉田氏の倍以上という。列島を震わせた銃声から2カ月余、
会場の武道館だけでなく、北の丸公園全体が前夜から封鎖された。
賛否は割れ、出欠に絡む諍(いさか)いが続いた。
心穏やかに悼むのが葬送の本旨なら、そこから隔たった空気ではなかったか。
「政治には凡(すべ)て『勘』の働きが大事である」と吉田氏は書いた(「大磯随想」)。
葬儀委員長として述べた弔辞は、思いがこもって染みいる印象だった。
他方、不十分な説明は世論に亀裂を刻んだままだ。
それを癒やす決意の言葉は、いまだ十分には語られていない。
ワンマンといわれた吉田氏も、民主主義には互いの敬意が重要だと考えていた。
意見は違っても「共通の広場が必要なのである」と書いている。
国会でも日常生活の場でも、同じ土俵で真摯に語り合う機運が衰えたように感じる。
ステッキをつき武道館を背にした銅像の目に、きのう一日の日本社会はいかに映っただろう。』
昨日、この国葬について、妻といろいろな感想を述べ合いました。
普段、会話の少ない私たち夫婦としては、きわめて稀な出来事です。
お互いの感想の共通点としては、とにかく何事もなく終わってよかったこと、
反対の意見があり、その意思表示のデモを行っても、どこかの国のように拘束されることもないこと。
日本という国は、なんだかんだと言いながらも、「自由で開かれた国」なのかもしれません‥‥。
さきほどのコラムには、「民主主義には互いの敬意が重要」「共通の広場が必要」という、
吉田茂元総理の考えやその言葉の引用がありました。
まずは家庭という「共通の広場」での「夫婦間での互いの敬意」が、その最初の一歩のような気がします‥。