しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

さっぱり理解できませんでした

今日から、二十四節気の「冬至」です‥。

冬至は、寒さからすると冬のはじめですが、春の到来からいえば、光の春は冬至からとのこと‥‥。

光に春を感じたら、またこの日記に感想を書こうと思います。


さて、昨日の続きです‥。

12月13日(日)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、阿部昭さんの

「言葉というものは、残念ながら、

「なんらかの形で自分を表現したい」と思っているような人には向いていない」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『「自分を表現したい」のと「書きたいことを書く」のとは別のことだと、作家はいう。

 自分を暗い井戸に見立てて、底から何かを引っ張り上げようとするのではなく、一本の木や一人の異性など、

 自分以外のものに自身の言葉を託すことで人は自分を表す。

 そう、「自分」という檻から自身を連れ出すのだと。「新編 散文の基本」から。』


う~む‥‥。(沈黙)

今回の「ことば」と鷲田さんの「解説」は、私にはさっぱり理解できませんでした。

その「さっぱり理解できなかった」ことが、逆に印象に残った次第です‥‥。