冬至は、寒さからすると冬のはじめですが、春の到来からいえば、光の春は冬至からとのこと‥‥。
光に春を感じたら、またこの日記に感想を書こうと思います。
さて、昨日の続きです‥。
12月13日(日)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、阿部昭さんの
「言葉というものは、残念ながら、
「なんらかの形で自分を表現したい」と思っているような人には向いていない」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『「自分を表現したい」のと「書きたいことを書く」のとは別のことだと、作家はいう。
自分を暗い井戸に見立てて、底から何かを引っ張り上げようとするのではなく、一本の木や一人の異性など、
自分以外のものに自身の言葉を託すことで人は自分を表す。
そう、「自分」という檻から自身を連れ出すのだと。「新編 散文の基本」から。』
う~む‥‥。(沈黙)
今回の「ことば」と鷲田さんの「解説」は、私にはさっぱり理解できませんでした。
その「さっぱり理解できなかった」ことが、逆に印象に残った次第です‥‥。